『ケセナイキズナ《前編:For Sacred Goddess》』-3
「すみません。この子、ませてるんですよ」
菅原君は少し照れくさそうに、そして嬉しそうに笑った。
「はは……では僕は失礼します。恋人同士の時間を邪魔したくありませんから」
「だから……」
菅原君が耳まで真っ赤にしたが、僕は簡単に笑ってこの場所をあとにした。
入院してから約二ヶ月。ようやく退院の許可が出た。たった二ヶ月でここまで回復したのは僕だけらしく、他の被害者はまだ入院していないといけない状態らしい。
しかし、記憶のほうは原因が一切わからないらしい。担任する前に脳外科や精神外科、他にも思い当たる科は全て回ったが回復の兆しは見えなかった。
悩んだ医者たちの答えは、怪我のほうは問題ないので、元の環境に戻し、様子を見るというものだった。
自宅は、僕の記憶と何も変わっていなかった。決して良い家とは言えないが、養われている立場で文句は言えない。
「自分の部屋、わかるか」
父親が心配そうに聞いた。それに僕は首を縦に振り、慣れた足取りで自分の部屋へと向かった。
部屋は何も変わっていない。大きめのテレビ、ゲーム、小説や漫画、他にも学校で使う教科書がちらほらと見えた。
僕はベッドへと倒れこむ。すると懐かしい匂いに心が締まった。
特殊な記憶障害。
知識はあれど、人に関する記憶だけが一切抜け落ちている。それを両親はため息交じりで話した。
居間で食事のあと、両親はアルバムを取り出しながら僕に昔話を始めた。
それは僕にとっては初めて聞く話ばかりで、まるでおとぎ話でも聞くかのようだった。
僕はひょうきんな性格で、よくおかしなことをしては周りを笑わせていたらしい。
でも、今の僕にとっては何もかも、他人の話だ。
一週間程度自宅で過ごした僕は、大学へと行かされることになった。大学は丁度夏休みだったため、遅れをとることもなかった。
父親が、「大学まで送ってやろうか」と言ったが、僕はそれをやんわり断った。
大学までの道のりはしっかりと覚えている。
僕にないのは、人の記憶だけだ。
ただ、それが一番の不安であったことを、僕は彼に話はしなかった。