『ケセナイキズナ《前編:For Sacred Goddess》』-1
1 死失《ししつ》
記憶というものは、とても曖昧で頼りになりはしない。だが、それを失ってみると、どれだけ重要だったかがわかる。
自分のことを、他人が自分以上に知っている。
自分が知らないことを、相手はさも当たり前のように話す。
焦燥感と緊張感。それが自分の中に螺旋を描きつつ新たな感情を作り出す。
連続通り魔が闊歩していた日、僕は犯人に会った。丁度犯人が逃げるところで、僕は出くわした。そして、僕は首元を切られ、失血多量による重症により病院に運ばれ、意識を失ったらしい。
奇跡的とでもいうように、命に関わるようなことはなかったらしい。ただ、三週間ほど僕が目覚めることは無かった。
意識が戻った頃、近くには母親が付き添っていた。ただ、それを僕には理解することが出来なかった。
母親が僕の名前らしきものを何度か呼び、その後すぐに医者を連れてきた。
医者は三つの質問をしてきた。
ここはどこかわかるか。
どうしてここにいるかわかるか。
自分の名前がわかるか。
その三つのうち、二つはすぐに答えることができた。
ただ、どうしても自分の名前を思い出すことができなかった。それだけではない。母親の名前、父親の名前、通っていた大学の友人の名前、人に関する全てが思い出せない。
医者は曇った表情をしたかと思うと、すぐに軽く微笑んだ。
「一時的な記憶の混乱でしょう」
そう言って、母親らしい人物を連れて部屋を出て行った。
入院中は、暇で仕方がなかった。
唯一の楽しみと言えば、食事と窓から見える移り変わる景色。
そんな中、知能指数を図るテストを行った。
テストはとても簡単で、まるでこの問題を知っているかのようにすらすらと解けた。時間が余ってしまうほどだった。
テストの結果は驚くほど高かったらしい。それを聞いた両親と名乗る者たちは、微妙な表情で喜んでいた。
記憶が戻らないせいでなかなか退院できず、仕方なしに毎日院内を歩き回った。