Unknown Sick-26
五 相克
◆
ある夏の日。正和が中学三年、美鈴が専門学校の二年生になった頃。二人が丁度、受験や就職活動で忙しい頃だった。祖母が亡くなって、一年がようやく過ぎた頃に祖父は亡くなった。死因は老衰だろうと皆が判断した。
通夜の日、正和と美鈴はずっと起きていた。美鈴は涙を絶やすことなく流し続ける。それに対し正和は、何も喋ることなく、線香が尽きないようにしていた。
「悲しくないの?」
ふと美鈴が言う。
「別に。死んだだけじゃないか」
正和は淡白に返した。そう、人間はいつか死ぬ。その可能性はいつでもある。特に高齢の人間にでもなれば、その可能性は高い。彼にとって、死とはその程度のもの。それだけだった。
「正和、言葉に気を付けなさい」
美鈴が怒りの言葉を向ける。
「くだらない。可能性は高かった。それを常に視野に入れておかないから、涙が流れるんだ」
正和のその言葉に、一瞬美鈴は固まる。それは予想していた言葉よりもずっと残酷で、死者を冒涜する言葉だった。
「正和!」
「でも……」
先程の言葉の続きを正和が語りだす。
「あなたが死んだら、俺は泣いてもいい」
正和は美鈴の目を見ずに言う。それは不器用な彼なりの告白。一生手に入らない女性に対する、精一杯の告白だった。
「正和……」
「それに、涙を流すのは、それこそ死者への冒涜だ。例え非業の死であろうと、彼らを見送る権利が残された者にはある」
これは、彼が生まれて初めて他人に伝えた自分の本音。泣いて、哀れんで、悲しんでしまっては死者に未練を残させるだけだ。そんなもの弔うことではない。天国があるとは彼は考えない。だが、もしあるとすれば、せめて彼らをそこに導いてくれさえすればいい。
それから二人は、何も話さなかった。
◆
トイレの水を流し、洗面所でうがいをする。そして床に点々と存在する赤い汚物を雑巾で拭き取る。寝室から続いているそれらの点は、とてつもなく不快だった。
全てを拭き終わると、寝室の枕元にある時計を見る。深夜の三時がそろそろ終わる時間帯だ。首の骨をコキコキと鳴らし、リビングに向かう。テーブルに置かれている煙草の箱の中から、最後になった一本を取り出す。依存症とは恐ろしいもので、どんなに具合が悪かろうと吸えてしまう。