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変容
【SM 官能小説】

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変容-3

一か月前に開かれた、ある演奏会で偶然にも私の隣に座った男……サタミ リュウジ、それが
彼の名前だった。

まだ私が結婚する以前、三十一歳のときだった。彼は私のかかりつけの精神科医であり、同時
に恋人以上の特別の男でさえあった。

かつて私は、彼に恋をしたのか、いまだに自分でもわからなかった。あの頃、私の前に彼がい
て、彼の前に私がいる……それが必要なことだった。

お互いに《ある種のきわめて特異な性》をゆだねる関係……私はそれだけでなぜか安心した。
彼にゆだねられた私は、彼の視線と声と、そして彼の匂いによって自分が支配されながらも、
心とからだが解き放たれていく揺らめきをいつも覚えていた。
 

建物の重厚な扉が不意に開く。私たちを出迎えたのは黒い服に包まれた、背中が曲がった老人
だった。深く窪んだ眼の中を物憂く光らせ、お待ちしておりました、と枯れ果てたような細い
声で言いながらも、サタミから私の顔に視線が移ると、何かしら驚いたような瞳孔の動きがは
っきりとわかった。

その表情をサタミは無視したように私の手を引き、優雅な動作で建物の中に私を導く。仄暗い
冷ややかな空気が纏わりついてくる建物の中には、なぜか物憂い情念に支配された背徳的な
匂いがした。それは私たちふたりをふたたび狂わせていく暗示であることを私は密かに感じ
取っていた。



一か月前、クリスマスイヴの夜だった……。


演奏会での再会を偶然だと思えないほど、私たちはお互いの、遠い意識をあまりに自然に甦ら
せた。いや、お互いのあの頃の意識が、至近距離で磁石のように交錯し合った。そうさせたの
がステージで演奏されていた音楽であったことに気がついたとき、私たちはすでに遠い時間を
巻き戻し、以前の関係に引き戻されていた。

 演奏曲目は、リヒャルト・シュトラウスの晩年の作品『メタモルフォーゼン…二十三の独奏
弦楽器のための習作』……弦楽器で奏でられるアンダンテのゆるやかで濃密な旋律が私と彼と
のあいだの意識を撫で上げ、高揚させ、歪め、ふたたび融和させようとしていた。

彼の冷たく澄んだような手が私の膝の上に伸び、私の手をとらえ、互いの指が深々と絡んだ。
私は彼の手を無意識に受け入れると、淫らで支配的な彼の指の中で私の指がもがきはじめ、胸
の奥が息苦しい鼓動をたてた。

会場に拡がる重層した弦の音が薄く、厚くなり、やがて、たたみかけるように私たちの意識を
搾りあげていった。流れる音楽に懐かれた私たちは、意識の中ですでに裸だった……とても
淫らな裸になり、欲望の泡立ちに燃え立つように身をゆだねようとしていた。


演奏会が終わり、観客が帰り支度を始めたときだった。

今夜、久しぶりにおれとつきあわないか…そう言った彼に操られるように私は頷いた。会場を
出ると、人通りのない小路に入り、私たちは肩を並べて会話もなく歩き続けた。なぜ彼とこう
して歩いているのか私は自分でもよくわからなかった。

古びた雑居ビルの最上階にある小さなカクテルバーで寄り添うようにスツールに座る。ほかに
客はいなかった。テーブルに置かれたいくつかの蝋燭の灯りだけが照らし出すバーは、モノク
ロームのしつらえの中に奇怪な調度品がきわめてさりげなく飾られていた。

カウンターの側面の大きなガラス窓からは街のネオンサインが極彩色の光を散りばめていた。
すべてのざわめきと音が消え、甘い蒼さを湛えた静寂のあいだを縫うように、先ほどまで聞い
ていたメタモルフォーゼンの弦の旋律が静かに流れていた。



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