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変容
【SM 官能小説】

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変容-2

「ご気分でもお悪いのですか…」
「えっ、いえ、大丈夫です。ちょっとこの絵の作者が気になったものですから」と躊躇いなが
ら言うと、学芸員は私が見入っている絵が作者不詳ということに気がつき、話を始めた。

「この絵は、あるとき匿名でここに送られてきたものです。添えられた手紙には寄贈の意向が
綴られていました。この美術館では、よほどのものでないと寄贈は受け入れないのですが、あ
まりにこの絵が素晴らしい出来栄えなのでここで所蔵することになりました。

 手紙によると、この絵の作者は、イタリアで亡くなった、ある日本人神父が描いたものだと
いうことでした。彼は、ローマから北へ列車で二時間ほどの距離にあったウンブリアの美しい
田園風景に囲まれた、なだらかな丘陵地帯にある街で亡くなりました。彼はなくなる直前にこ
の絵を描き上げましたが、ほとんどひと目に触れることなく、彼がいた教会の地下室に眠って
いたようです。ところがある日本人医師がこの教会を尋ねてきたときにこの絵を買い取り、日
本へ持ち帰ったそうです。ただ、この絵を描いた神父の名前は手紙には書かれてありませんで
した」と、その学芸員は淡々と話をしてくれると、急に用事を思い出したのか奥の部屋に戻って
行った。

知っている……私はこの絵を描いた神父の名前を、そして、イタリアの教会を訪ね、この絵を
日本に持ち帰った医師がだれであるのかを……。



ただ、私は《あのときの出来事》が、現実であったのか夢であったのか、いまでも定かでなか
った。ただ、私の中で、この絵だけが《ある情念》として残り続けていたのだ……。

 

今から六年前……



………


誰にも見られない場所が私たちには必要だった。そして、その場所もまた私たちを必要として
いた……。

車の窓から見える人家が疎らになり、鬱蒼とした雑木林を抜けると遠くに琉璃紺色の冬の海が
見えた。海はしだいに近づき、急な坂道のガードレールの下が崖になり、冬の荒々しい波が白
い牙をむき、跳ね上がり、砕け散る。やがてフロントガラスの前が冬の蒼灰色に染まり、微か
に白い雪が舞い始める。

ハンドルを握る彼の端正な横顔が私の遥かな郷愁にも似た恋しさをくすぐる。互いに何かを意
識する気配と、何かを遠ざけようとする暗黙の意識がふたりのあいだをすり抜けていく。

雪が混じった黄昏の空はどんよりと曇っている。白々とした光が突然さえぎられたとき、車は
建物の横の樹木に隠れたガレージに止った。

壁を白く塗られた洋館風の二階建ての建物は鬱蒼とした樹木で囲まれ、前庭は海に面した崖に
向って冬の色褪せた芝生が広々と続いていた。レトロな造りの古い建物は、どこか沈鬱な様相
を見せ、まるで私たちを待ちわびていたかのように茫漠とした底知れぬものを漂わせていた。

「思っていたより遠かったが、やっと着いた……」と、彼が言った。

シャツの首元のボタンが無造作に外れている。年齢は私より七歳年上の四十七歳。艶やかな髪
の毛を優雅にカールさせ、面長であるが男らしい鼻筋をした顔は、すべてが彼のもっているで
あろう欲望と淫蕩さを冷静に、優雅に隠ぺいしているかのように見えた。

ジャケットの下に着込んだポロシャツに覆われた胸郭からは、おおよそ充実した引締まった胴
体と質量を想わせただけでなく、彼の声も、しぐさも、私の中にあたりまえのように深く忍び
込んでくる。凛々しい眉、粗野に生やした口髭、何よりも縁なしの眼鏡の底に潜む瞳には、鈍
色の鋼鉄の刃に煌めくような鋭い光を湛えていた。



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