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変容
【SM 官能小説】

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変容-4

「まさか、ふたたびきみと会えるとは思わなかったぜ」
あの頃の彼の懐かしい匂いがした。その匂いは鼻腔に漂い、からだの中に滲み入り、ゆるやか
に私の中を溶かしていくようだった。

「おれの右横に座ったきみの偶然は、おれにとっても幸運だったということか。なぜならおれ
の左の席に座るはずの女はおれの妻だったが、彼女は来なかった。彼女は来ないことで、おれ
と別れる意思を示した…」

 私は驚いて彼の横顔を見る。あの頃、彼は私と別れたあと、ある女性と結婚した。
あのとき、サタミが結婚すると言ったとき、私は溺れかけていた混沌とした深い海の底から
引き上げられるような気持ちになったことを憶えている。
私はおそらく彼との夢から覚めたのだ。彼との密閉された関係のなかで、狂い、細胞を裂かれ、
どこまでも堕ちていき、濃密な快楽に炙り続けられる幻覚のような夢から……。

「私たちの再会は、ほんとうに幸運だったのかしら」

サタミの妻がどんな女性なのか知る必要もなかったが、妻と別れることになった彼のすぐ隣の
席に私が座ったことに、私たちを結びつける何かが存在していたことに不思議な思いをいだいた。

「お互いにイヴの夜の演奏会に待っている相手は来なかったということか…。演奏会のきみの
右側の席には誰かが座るはずだった……おそらく、きみが待っていた男は来なかったというわ
けだ。おれたちはいいときに会えたような気がする…」


 彼が口にしたジントニックのグラスの中の青いライムに気泡が気だるく絡んでいた。ジンの
香りと彼の匂いが私の中の渇きをすっと癒してくれたような気がした。

「きみもダンナと別れたらしいな……というとは、きみの隣に座る予定の男は、新たなきみの
プレイのパートナーといったところか」

「夫は、私のパートナーにはなれなかった…私はもともと彼に《そういうこと》を望んでいな
かったわ」

「きみにとって《そういうこと》が、いったいどういうことなのか、おれには手に取るように
わかるね……仮面を脱げない女王様を演じるきみに、おれはまだ未練があるのかもしれない」
 そう言いながら、サタミは煙草を咥え、火をつけた。あのころの彼の懐かしい煙草の香りが
した。

「あなたの患者としてかしら、それとも過去の特別の女として……」


彼の病院は山手線のY…駅近くの雑居ビルの中にあり、サタミ精神科クリニックと表示されて
いた。私はあの頃、そこにときどき通っていた。精神的な不安、不眠…ときどき私を襲ってく
る脅迫観念みたいなものに私は悩んでいた時期があった。そしてサタミは私を患者として、女
として私の心の胸奥まで知り尽くしたのだった。

「もちろん、おれの患者でありながら、同時に恋人以上の女としてきみを見ていた。今だから
言えるかもしれない。医者と患者の関係以上にお互いを極めることができなかったもの同士が、
ふたたび出会えたということはとても幸運なことだと言いたいね」と言いながら、彼は大胆に
も私の腰に手をまわし、広い掌で強引に引き寄せた。

きみはそんな女だ……触れた彼の掌の体温がそう言っているような気がした。私が今もまだ
《そんな女》であることを、彼の体温はきわめて動物的に感じ取っていたのだ。


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