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金 太魔くんの奮闘記
【熟女/人妻 官能小説】

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都会の灯り-1

引っ越した先は、色とりどりの灯り輝くネオン街の近くの8戸建てのボロアパートで、連れ込み(?)の部屋もあったんでねえべか、昼夜関係無くアパートのどっかから聴こえて来るヘッペの拡声音。遠慮も何も無えー。ああ、オラはやっぱこんな星の下に産まれたんだなあと思ったなあ。どこへ行っても大人がヘッペしてんだもんな。引っ越しの数少ねえ荷物を置いて、親父と母ちゃんとオラ、やっと本当の家族構成になった一行は『ラーメンでも喰いにいくべ』つて、繁華街のラーメン屋へ行った。ネオンの耀きが眩しくて、オラは眼がつぶれるんでねえべかと思ったわ。信号がまず珍しかったもんな。親父は無表情で麺を啜ってる。母ちゃんも無表情で麺を啜ってる間に鼻を啜ってる。親父は母ちゃんの数々の男遍歴知ってたんだべか、知らなかったんだべか。知らねえ男と半同棲までしてた母ちゃんは、すっと惚けたような顔で食後の一服吹かしてた。

その次の週辺りから、親父は昼と夜の仕事を持って働いてたな。母ちゃんは夜の店、《店》つうけど、所謂、トルコ風呂。いまじゃソープランドつうしゃれた名前に変わってるけど、素っ裸で男と石鹸踊りするのは変わらねえ。母ちゃんと夜飯のラーメンを喰って別れた後。繁華街に消えていく母ちゃんの後ろ姿を追ってった先がトルコ街だった。母ちゃんのチンポ吸ってる顔を想像して、ズボンの前とこれからの夢を膨らませながら歩いてボロ家に帰った。どこからだかわかんねえけど、確かにここのアパートだ、『いいわぁ、あんた素敵だわぁ』つう女の声。女つうか声質的にババぁの声。違う方角からも同じような、明らかなヘッペしてる声。売春の貧民窟だったんだか、自由恋愛の憩いの場だったんだか今だに不明。

そんな事よりも、悶え声の合唱に母ちゃんの太え声が加わる日が間もなく来るとは..(笑) 母ちゃんの不埒な男遊びがここでも始まるとは思ってねがったわ。来る男が毎回違うとなれば、こりゃ春を売ってるんでねえべかと思うけど、うちの母ちゃんの場合はある程度短い期間ではあるけれど、同じパートナーで。多分、周囲で悶えているオバちゃん達とは一線を画して、うちの母ちゃんは純粋な自由恋愛。親父は昼は何だか分からん、夜は飲み屋の厨房、2つの仕事をやってたようで、家に不規則な時間に帰って来ては寝てばかりいた。

うちの母ちゃんはやっぱ男に対しての箍が外れてたつうか、その領域の脳ミソが弱かったつうのか、フリーセックスの昭和女だったのか、あらためて言うまでもねえけど男遍歴は銀河の星の数だった。田舎と違ってネオン街の外れに連れ込み旅館いっぺえあっから、そっちさ行ってやればいいものを、なんで家に男を連れてくるか理解不能だったけど、酔っ払っちまうと帰るのが面倒になるんでねえの? 家に連れ込んでへっぺして、男は要件済んだら勝手に帰るから。帰り仕度しなくていいし、後は翌昼迄寝るだけだもんな。それにしても不思議なのは、商売柄、トルーコ風呂で1日に何人の男のチンポ汁を処理するのかわがんねえけど、それでも彼氏を作る母ちゃんの半端無え精力。もう沢山腹いっぺえってならねえんだかやと言う激しい疑問。口元が寂しくて煙草が止めらんねえ奴はいるけどよ、股ぐらが寂しくて亭主以外の男のチンポを喰う貪欲さ。

親父のせいで多額の賠償金背負わされて、母ちゃんは親父を恨んでたんでねえの、日に日に会話しなくなってたし、顔を合わせれば喧嘩してた。親父はじぇんとるまんだから、絶対に手は出さねえけど、母ちゃんを罵倒する時は《この売女っ!!》つう聞いた事あるような文句を吐いてた。オラそれ聞いて、《親父よ良く知ってんでねえか母ちゃんの事をよー》と思ったわ。そりゃそうだわな、あんな半農半漁の狭い田舎町で家に男を出入りさせてたら、ネット社会の今でなくたって、瞬く間に噂は尾びれ背びれ付いて広まるっつうの。親父がそれを眼に耳にしない訳無えもんな。親父は案外狡猾な人間だったんだべか、自分の死亡事故の賠償金の片棒を担がせるために離婚しねえし、遊びもにも眼え瞑ってやるつう事だったんだべか。

学校から家に帰った時間、3時過ぎだべかなあ、また男連れ込んで。『太魔ぁ、父ちゃんに言うなよ、分かってるべ』母ちゃんは煙草の白煙を細眼で気だるそうに燻らせながら、いつものセリフを吐いた。傍らで一仕事終えたであろう鮫顔の若え男が苦笑いしながら瓶ビール飲んでたべ。オラには関わりの無え事だわ。それよりもオラは転校した学校の事で頭がいっぺいだった。新しい学校で何がびっくらこいたかつうと、意外とオラ、頭がいんでないかいつう事。学年で30本の指圏内に入ってたかんな。当時の学校なんつうのはどこも満杯の40人学級で、同じ学年で5、6学級ぐらいあんだからな。どこの家庭もヘッペに勤しんでたのか子沢山で、少子化なんつう言葉が存在しねえ時代だった。オラの学年も5組まであったから200人居たつう事だべえ。200人のうち30人の中に入ってるつう事は、それなりの小天狗になる権利はあった。前の学校の友達にそれを言ったら、『おめえ、勉強しねえでズリばっか漕いでたんかと思ったら、意外とやるんだな』だと。『いゃいゃ、ズリばっか漕いでたけど、何でこんな頭いいんだべぇ、おめえも1日に5回ズリ漕げ、したらオラみてえに秀才になっからよ』『うるせこのぉー(笑)』みてえな会話。

成績が30位以内つうのが、ことのほか嬉しくてな、新しい学校では一層勉強したから、6年生になったら20位圏内入ってたつう快挙。人間な、知識がソコソコ付いたら今度は《経験》だわなぁ。



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