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ディーナの旦那さま
【ファンタジー 官能小説】

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その夜の旦那さま-1


 カミルが廃屋を出て、ようやくアルジェントの拠点である娼館に辿り着いた時には、もうすっかり片がついていた。
 無数のランタンで煌々と照らされた娼館は、いつもの夜通し絶えない嬌声と酒の匂いの代わりに、怪我人の呻き声と血臭が満ちている。

 騒動の後片付けに駆け回っているのは、夜猫商会に組する者たちで、どちらの勝利に終わったかは一目瞭然。
 しかし、カミルにとって重要なのは、ディーナの安否だった。

 忙しく動き回る人や魔物の中を、カミルはスルリと素早くすり抜けて、娼館の門をくぐる。
 中庭に入ると、夜猫の頭首が腹心達へ指示をしている姿が見え、これほど迅速に勝敗がついた理由も納得できた。

 そして、中庭の向こう側に、ぐったりとしたディーナを腕に抱えたリアンを見つけた瞬間、カミルは真っ直ぐにそこへ向かっていた。
 芝生を踏みしめて一足飛びに駆け、リアンの前で急停止すると、彼に横抱きにされていたディーナが、こちらに顔を向けた。
 どうやら怪我もしていないようだし、着衣も乱れてはおらず、靴を履いていない程度だ。
 しかし、額に汗を滲ませて呼吸は荒く、頬も異常に火照っている。瞳はトロンと呆けたように虚ろで、明らかに様子がおかしい。

 焦点のあっていなかったディーナの瞳が、カミルを見た途端に大きく見開かれた。細い喉がヒクリと上下し、充血して赤みの増した唇が開く。

「だんなさまぁ!!!」

 周囲の視線がいっせいにこちらへ向くほど、涙交じりの大声でディーナが叫んだ。
 さっきまで力なく垂らしていた手足をバタつかせ、リアンの腕から飛び出すようにカミルへ飛びつく。
 慌ててカミルが抱き上げると、ディーナが両腕を首に回してきた。しゃくりあげながら、必死にしがみつかれる。

「だんな、さまぁ……ぁんっ……い、嫌……他の人、イヤぁっ……」

 熱っぽい吐息交じりの声と、ディーナの首筋に見えた注射針の痕に、カミルはギクリと身を強ばらせた。
 アルジェントの娼館でよく使われる媚薬のことは、カミルもよく知っている。どんなに貞淑な聖女でも、打たれて半刻も立たぬうちに理性を蕩かされ、自分から抱いてくれと懇願するほど効果が強いことも。
 もとはといえば、娼婦に売られてきた女が客取りを嫌がって逃げようとした際、身体を傷つけずに仕置きする目的で作られた薬らしい。

 怪我はもちろんのこと、攫われた先の場所が場所だけに、陵辱の可能性も心配していた。
 もしや手遅れだったかと冷や汗が滲む。
 それでディーナが汚れたなどと言うつもりは微塵もないが、彼女が心に深い傷を負うのは違いない。

「…………」

 声をかけようとして、カミルは薄く口をあけたものの、一言も発することができなかった。
 カミルに気に入られたが為に、ディーナは餌として巻き込まれた。攫われ、恫喝され、どんなに恐ろしい思いをさせられただろう。
 それでもディーナは、自分の雇い主を守ろうと折れなかったのに……当のカミルに、それを信じて貰えなかった。
 カミルが廃屋で待ったりせず、すぐにこちらへむかっていれば、もっと早くに助けられていただろうに……。

 ―― 今さら、何を言う気だ?

 震えながらすがりついてくるディーナを、言葉もなく抱きしめるしか出来ない。
 そんなカミルを、リアンは黙って睨んでいたが、不意に大きく息を吐いた。

「あんた、手先はあんなに器用なのに、他はてんで駄目なんだな」

 そして彼は、娼館の建物を苛立たしげに示す。

「ディーナはここの薬を打たれて……ま、ギリギリで間に合ったみたいだ。俺だって、こんな状態でつけ込む気はないしな。だから後は、あんたが責任とって助けてやれよ」

 突き放すようにそう言われて、カミルはようやく、呻くような声を発せられた。

「……ああ」

 どうやら最悪の事態は免れていたらしいが、余りホッとする気にはなれなかった。こんな媚薬を打たれてしまっただけでも、十分に悪い状況だ。

 よく見ればリアンも全身傷だらけで、かなり苦戦を強いられたようだ。シャツの破れ目からは千切れた鎖帷子が垂れているし、とんでもない猛者と対峙したのだろう。あの鎖は細くとも、そう易々と千切れるものではない。
 運良く夜猫の頭首が来て、迅速にアルジェントの拠点が叩き潰されなければ、もっと酷い結果となっていたのは確実だ。


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