1 吸血鬼に仕える娘-1
街外れにある山の中腹に、小さな石造りの一軒家がひっそりと建っていた。
主の工房となっている鍛冶場は、とある事情からどんなに熱が篭ろうと、日中には鎧窓を決して開けない。
よって、まだ夕暮れ前なのに、鍛冶場の中を照らすのは魔法鉱石のランタンだけだった。
「わぁ……っ!」
ランタンの灯りに照らされた短剣を、ディーナは感嘆の声をあげた。
童顔なうえに、小柄で凹凸に乏しい体型の彼女は、十九歳にはとても見えない。頬は薄っすらと紅潮し、三つ編みにした赤毛が感激を表すように揺れ弾む。クリクリした緑色の瞳が、純粋な賛美を込めて輝いている。
作業台に鎮座している出来立ての短剣は、確かに見事な代物だった。
冷たく輝く鋼の刃は、触れなくとも恐ろしいほどの切れ味を予感させる。しかも柄頭に埋め込まれた赤い鉱石が、使い主の望む時に刃へ魔法の炎を纏わせるのだ。
短い柄には東方の魔法文字がぎっしりと刻み込まれ、鉱石に刻み込まれた西方の魔法文字の威力を増幅させる仕組みとなっている。
通常ならば、西と東の異なる魔法文字が相乗効果を発揮するなど有り得ず、こんな芸当を出来るのはディーナの主くらいだ。
……とはいえ、魔法に詳しくない彼女は、そんな部分までは知らない。
けれど、こうして知識なく眺めているだけのディーナにも、ゾワゾワと産毛が逆立つほどの素晴らしさが十分に伝わっていた。
「さすが旦那さま! これならどんな気難しい注文主だって、きっと満足しますよ!」
ディーナはほぅっとため息をつき、短剣から傍らに立つ主へと視線を移した。
「当然だ。文句を付けられるような品なら、最初から出さん」
感激を隠そうともしないディーナに反して、その賞賛を惜しみなく向けられている男――カミルは素っ気ない。
彼の見た目はせいぜい二十代半ばといったところか。
鈍色の髪は鍛冶の邪魔にならぬよう短く刈られ、鋭い瞳は血のように赤い。無愛想に眉を寄せた横顔は非常に整っている。
陽の光を全く浴びない肌は青白く、シャツの袖から覗く腕は引き締まっているものの、鍛冶場で金槌を振るっているにしてはやや細身に見える。
もっともディーナは、カミルが正確には何歳なのかも、詳しい経歴もよく知らない。
ディーナは普通の人間であるが、主のカミルは泉からの産物である魔物……中でも特に長寿を誇る、吸血鬼だった。
どうやら二百年以上は生きているようだが、世界各地にある古代遺跡の泉から生まれる魔物の多くは、生まれてから朽ちるまで変わらぬ容姿を保ち、吸血鬼もその一例だ。
名前だって本当は、カルミユールエヴァート……とか、やたらに長く言い辛いものらしい。
吸血鬼を産む泉は世界に何箇所かあるが、彼の故郷である黒い森の吸血鬼たちは、こういった長い名前を持つのが普通だそうだ。
だが、彼は普段から『カミル』と略しているし、ディーナが彼を呼ぶ時は、いつだって『旦那さま』なのだから、その辺りはさして重要でもない。
カミルはムスッとした表情のまま、短剣をさっさと布で包むと、木箱に入れて紐で縛ってしまった。
「ああ〜っ! 旦那さま、お願いです! もうちょっとだけ……っ!」
「もう十分だろう。ったく、煩く頼むから見せてやったんだ。早く鍛冶場から出ろ」
カミルは無愛想に言い放ち、ディーナの肩を掴んで鍛冶場から追い出す。
名残惜しかったが、初めて鍛冶場に入るのを許されたうえ、出来立ての作品まで見せて貰えたのだ。心にはまだあの美しい短剣の余韻が残っており、ディーナの顔はニコニコと緩む。
鍛冶場には高温の炉や危険な道具が沢山あるが、入るのを禁じられているのは、カミルが集中している時に邪魔されるのを何よりも嫌うためだ。
カミルは普段、武具の注文を受けることは滅多になく、あの短剣にはめこんであるもののような、魔法の力を発せられる鉱石ビーズを作っては、日々の糧を稼いでいる。
特殊な木から取れる鉱石を加工して作る鉱石ビーズは、照明や冷蔵庫といった生活具から、汽車や船の動力にまでなっている。どんな不景気も関係なく売れる需要品だ。
それでもカミルならば、剣の一本でも作って武器コレクターに売れば、十数年は食べるに困らないだろう。
彼は非常に優れた武具を造る名工として、一部では大変に有名らしい。
目の飛び出るような大金を払っても、その武具をコレクションに加えたいという金持ちもいるそうだ。
だが彼は、信頼できる筋の紹介でしか注文は受け付けず、しかもその相手が気に入らなければ容赦なく断った。
その代わり引き受けた注文には、法外な料金を要求することもない。
どんなに金を積まれようと、不本意な相手に武具を造るくらいなら、死んだ方がましだとさえ吐き捨てる。
彼にとって『自分を安売りする』というのは金額の高低ではなく、そういう意味らしい。
ディーナがここに来てから二年経ったが、カミルが武具の注文を受けるのを見たのは、これでまだ三度目だ。
それでもいつになく多い頻度だそうで、数年も注文を受けない時もあるらしい。
カミルは武具の製作を開始すると、出来上がるまで鍛冶場に篭りきりとなる。
鍛冶場にいる時は声もかけるなと言われていたが、言われなくてもディーナはつまらない用事で声をかけたりなどしなかっただろう。
金槌を打つ凄まじい気迫は、扉の外にまで伝わるほどで、ディーナは声をかけるどころか扉にさえ近づかないようにしていた。