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ディーナの旦那さま
【ファンタジー 官能小説】

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影の男-3


「っ……あ!」

 背筋に冷たい水を流されたような気がした。

「思い出してくれた?」

 グラートが眼を細めて微笑む。

「浮かれている君に、俺が本当のことを教えてあげたのを。吸血鬼なんて種族は、絶対に誰かを愛したりしないって」

「あ、あれ……あなた、が……」

 どこで誰に聞いたのか、どうしても思い出せなかったのに、突如としてその景色は脳裏に蘇った。

 赤面したディーナを、イデアがひとしきりからかって帰り、ディーナも買い物車を引いて歩き出した時、すぐ近くで囁くような声が聞こえたのだ。

『可哀想に。どんなに君が愛しても、吸血鬼が誰かを愛するなんて、有り得ないよ』と。

 とっさに振り返っても、背後にはせわしない市場の雑踏が流れているだけ。
 誰に話しかけられたのか解らなかったし、そもそも、自分にかけられた言葉なのかも曖昧だった。

 何よりも……自分にとって都合の悪い言葉だったから、深く考えたくなかった。

 そのまま押し込めて、考えないようにしているうちに、いつしか不気味な声のことは、すっかり忘れていた。
 ただ、吸血鬼は誰も愛さないのではという、ディーナ自身も本当は少し不安に思っていた言葉だけは、どこで聞いたのかも曖昧なまま、抜けない棘のように心臓へ突き刺さっていた。

「そうして……ずっと君を見ているうちに、これなら偏屈な吸血鬼でも、気に入って手元に置きたくなるだろうと納得できたよ。君は可愛いだけじゃなくて、とても真面目で優しいいい子だ。だから俺だって当然、君が欲しくてたまらなくなった。どうしたら君を手に入れられるか、ずっと考えていた」

 おさげに編んだディーナの赤い髪を片方、グラートは手にとって愛しげに口付ける。

「バロッコの妻が話を持ちかけに来た時、信じられない幸運に耳を疑ったね。もちろん、この機会を逃す気はなかった。元締めは意外と単純だし、手柄が欲しくて焦っているから、予想通りに武具師という餌にすぐ喰いついたよ」

「ま、まさか……あなた、は……さいしょ、から……」

 妙に乾いて上手く動かない口を必死で動かし、ディーナはようやくそれだけ言えた。
 ナザリオはディーナを、カミルを手に入れる餌にするつもりだったらしいが、グラートにとってはカミルこそが、影で上司を操るための餌だったのか。
 驚愕するディーナに、グラートは首をかしげて見せた。

「この交渉が成立するはずないと、君も解っていたじゃないか。前任の元締めだって、カミルが金で動かないのを知っていたから、手出ししなかったんだ。でも、ナザリオさんは細かな情報に疎いし、もし交渉がうまく行かなければ、君を売って武具師は殺せば良いと単純に考えた。いかにもあの人らしい強引さだ」

 喉を震わせたグラートの笑い声には、ほんの少し蔑むような響きが混ざっていた。

「俺は荒事がまるで駄目だけど、元締めの命令があれば、堂々とここの人員を使い、君を攫ってカミルを誘き出すことが出来た。ただ……あれは計算違いだったな」

 ふとグラートは言葉を切り、上階にある元締めの部屋を透し見るかのように、天井へ視線をやった。

「君も金だけなら頷かないだろうけど、あれだけ脅されれば、元締めの言うことを聞くと思っていたんだ。それで、カミルが君の安全よりも、自分の矜持をとって契約を断るのを見せるつもりだった……君が折れなかったなんて、全く予想外だ」

 独り言のようにボソボソと呟いていた青年は、急にディーナへと視線を戻した。

「全く予想外だ……君がバロッコの妻に勝利した時、大声で叫びたいほどの気分だった。俺が思っていたよりも、遥かに君は『旦那さま』を愛していたんだね……最高だよ」

 そう言ったグラートの声は、感極まったように掠れていた。

「カミルを呼び出した場所には、十分な兵力を配置してある。もうそろそろ殺されているだろう」

 彼はディーナの顎をまた掴み、吐息がかかるほどまで顔を寄せる。

「君の身請け金くらいすぐに払えるけど、ここでは娼婦を一晩は買ってからでないと身請けできない規定でね。だから明日の朝一番で、君を身請けするよ。バロッコたちの負債も及ばないように手を回すから、何も心配しなくて良い。家につれて帰って、いっぱい優しくしてあげる。君が他の誰かにまた眼をつけられないよう、もう誰にも会わせないで、大事に大事に、一生守るからね」

 陽炎のように印象の薄かった青年は、いまやギラギラと眼を光らせて、はっきりと自身の存在をディーナの眼に焼き付けていた。

「ひ……い、や……っ」

 思わずディーナがあげた拒絶の悲鳴も、彼の耳には届かなかったようだ。彼は愛しげに眼を細めると、ディーナの耳朶に息を吹きつけながら、うっとりと囁いた。

「愛しているよ……これからは俺が、ディーナの旦那さまだ」


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