影の男-1
娼館の一室に、切なげな呼吸音が響く。
性の快楽を提供する店の、しかもかなり値の張る部屋だけあり、寝台は柔らかで広く、備え付けの道具も凝っている。
寝台に鎖で繋げられた頑丈な手枷も、内側に厚く綿を敷いた上に絹が張られ、娼婦をしっかりと拘束できるのに、手首を傷めることはない。
ディーナは仰向けの状態で、その枷に両手首を拘束されていた。
グラートに連れられてこの部屋に入り、もう半刻は経っただろうか。
衣服は何も脱がされていない。さすがに靴だけは脱ぐよう言われたが、その他は上着から靴下までも、全て身に着けたままだ。
ただし、膝の裏に拘束具つきの棒を挟まれて、適度に開いた状態でくくりつけられているせいで、スカートは腰元までおちて、波打つ柔らかな布の合間から太ももや下着が見え隠れする。
両手首も頭上で戒められ、膝を立てて大きく脚を開いた卑猥な姿勢では、衣服を剥ぎ取られなくとも、与えられる羞恥と屈辱に大差はないだろう。
ところで、この状態を作り上げた男……グラートは寝台の端に腰をかけて、ただじっとディーナを眺めていた。
彼自身も、上着を脱ぐどころかタイさえ寛げず、ナザリオの元で勤務していた時と、全く変わらぬ事務的な様子だ。
しかし、指一本触れられなくても、ディーナは火照る全身にじっとりと汗を滲ませ、苦悶にきつく眉根をよせていた。硬く尖った胸の先端が、わずかな身じろぎにも衣服に擦れて、チリチリと疼痛を訴える。
「ぅ……っ……く……」
身体を駆け巡るもどかしい疼きを逃そうと、ディーナは必死に首を左右にふる。拘束されてすぐに、アルジェント専属の薬師が開発した媚薬を注射されたのだ。
副作用はないが、即効性のうえに効果も強力で長く、打たれた女は一晩中悶えるので、吸血鬼の魅了《ヴァンピール・アレッターレ》と名づけられた代物らしい。
もっとも、吸血鬼がかける魅了を実際に経験済みのディーナは、これが本物の足元にも及ばないと知っている。
本物の魅了にかけられてしまえば、その瞬間に凄まじい快楽の暴虐に飲まれ、意思も理性も即座に吹き飛ぶが、この薬にそこまでの威力はない。
しかし、媚薬はそれでも十分にディーナの身体を熱くさせ、意志とは無関係に淫靡な欲求を掘り起こす。
ジンジンと疼いてたまらない秘所から、とめどなく蜜が溢れて下着を濡らす。熱い塊で満たされ激しく突かれる喜びをしっかりと覚えている密壷が、早く刺激が欲しいと妖しくひだをざわつかせて訴える。
拘束されて満足に身動きも出来ず、指一本も触れられないままでは、快楽を早く高めて登りつめることも、身体を動かして気を紛らせる事も出来ない。じりじりと溜まり続けるだけの、もどかしい熱に苦しめられる。
白い簡素な下着は、濡れそぼって秘裂にベットリと張り付き、その形を露にしていた。
ディーナの奥を、また媚薬が熱く疼かせたとたん、割れ目から熱い蜜がジュワリと滲む。下着はもうそれ以上の水分を吸収できす、蜜液はシーツにまで滴った。
それら全てを男の目に晒されている。
嫌でたまらないはずなのに、ともすれば媚薬に負けていやらしく腰を揺らしてしまいそうで、耐え難い羞恥にディーナは歯を食いしばる。
目尻から涙が溢れて、桃色に上気した頬に流れると、不意にグラートがディーナの顎を掴み、自分の方へ向けさせた。
「媚薬を飲んで何もされないのは、意外と堪えるって聞いたけど本当らしいね。随分と辛そうだから、そろそろ許してあげようか? 俺のお願いを聞いてくれるなら、だけど」
とてもにこやかな声と優しげな口調だったが、ディーナは顔を引き攣らせて、必死に首を振る。
「で、できません……許して……」
熱い吐息の合間から切れ切れに訴えると、グラートが苦笑して首をかしげた。
「へぇ、俺は君を買って、一晩好きに扱う権利があるのに? 『カミルよりも俺の方を愛してる』と、たったそれだけを口にするのが、そんなに難しい?」
「っ……」
柔らかな口調で咎められ、ディーナは声を詰まらせた。
ナザリオの部屋を出た後、グラートは階下の娼館で素早く手続きを取り、ディーナはここの娼婦として登録された。
彼は先払いで一晩分の料金をきっちり支払い、その一部は規定通りにディーナに渡されたのだ。
だから、身体に深い傷をつけたりなど、娼館の規約に反さない限り、彼にどう扱われようがディーナに文句を言う権利はない。
今はグラートが『一晩限りの旦那さま』なのだ。
けれど……。
「す……すみません……でも、それだけは……」
自分を攫い、娼婦に貶める一端を担った男を、カミルよりも愛してるなんて、そんな事を言えるはずがない。
身体を貪られるだけなら、どんなに嫌でも耐えられたかもしれない。
自分はすでに娼婦で、グラートは確かにこの身を買ったからこそ、恥ずかしすぎる姿勢に拘束されても、怪しげな媚薬を注射されても、大人しく従った。
だがグラートは肉体を差し出させるだけでなく、ディーナの心を支えている柱を折り、別のものに挿げ替えろと言うのだ。
それとも、娼婦というのは心まで客に売らなくてはいけないのだろうか?