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ディーナの旦那さま
【ファンタジー 官能小説】

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不穏の兆し-2


「はい……旦那さま」

 闇色のフードを目深に被ったカミルの頭上には、鉛色の曇天が広がっている。
 こんな色の空は、見る人の心もくすませてしまいそうなのに、ディーナの胸は今、とても温かくて幸せだ。
 不意に、吸血鬼が日光を浴びられないのは、神さまが身勝手で傲慢な彼らに怒り、罰として陽の恩寵を奪ったからだという伝説を思い出した。


 ―― 神さま。私はもうあなたへお祈りもしないから、何も願う権利なんてないけれど……ちょっとだけ考えて欲しいのです。
 吸血鬼にも色々な人がいるんだから、全部一括りに評価して罰したのは、少し気が短すぎたかもって、思い直してくれませんか? 


 少しひんやりするカミルの青白い手を、ぎゅっと握り締めた時……。

「あーっ! やっと見つけたぞ、卑怯者!! ディーナを返せ!」

 背後から響き渡った青年の声に、ディーナはぎょっとして振り返る。
 人波をかきわけるようにして飛び出してきたのは、思ったとおりリアンだった。さすがに半狼の姿をとってはいないが、少し金色がかった両眼は、はっきり解るほど怒りに燃えている。

「ちっ」

 身構えるリアンを前にカミルが舌打ちをし、ディーナを抱えあげようとした。
 だが、とっさにディーナは声を張り上げてそれを止める。

「ま、待ってください、旦那さま! リアンも!」

「ディーナ……?」

 カミルはいぶかしげな声をあげ、リアンも不満そうな顔をしたが、二人ともその場で止まってくれた。

「おいおい、修羅場か?」

「女の取り合いみたいだぞ」

 小柄な少女を挟んで二人の男が睨み合っている光景に、何人かが足を留めてヒソヒソと囁いていたが、カミルとリアンに睨まれると、さっと目を逸らして離れていく。

「えーと……リアン?」

 ディーナがおずおずと声をかけると、野次馬を視線で威嚇していたリアンが、バッと振り向いた。

「すぐに思い出せなくてごめんなさい……今日は、私が助けられちゃったね。ありがとう」

 先ほど言いそびれてしまった礼を言うと、リアンの顔が笑みに輝き、頬には赤味がさした。

「思い出してくれたんだ!? でも、俺の方がよっぽど……あの時ディーナに会えなかったら、きっと諦めて死んでた」

 そして不意に、リアンは表情を険しくしてカミルを睨む。

「だから、絶対にディーナを守る。バロッコからコイツに売られでもしたんだろ?」

「……」

 カミルは特に返答をしなかったが、彼の表情も険しくなる。

「ち、違っ……! 最初はそうだったけど……今は、違うの!」

 ディーナは一瞬、説明に困った。リアンの言ったことは、あながち間違いではない。
 一度は確かに、バロッコからカミルの元に売られたのだ。

 しかしその契約は、あの翌朝に破棄されている。カミルはディーナを不要と断言し、切り捨てた。
 そして憤ったあげく、彼の元に改めて留まるのを決意したのは、誰でもないディーナ自身だ。

 リアンが信じられないという表情を浮かべ、カミルを睨んだ。

「違う? けど、好きでこいつの所にいるわけ……だって、こいつは……」

「私の大好きな旦那さまよ!」

 吸血鬼、と言ったリアンの声は、ディーナの張り上げた声にかき消された。

「リアン……私の事を覚えていてくれたのは、すごく嬉しいよ。でも……お願い。旦那さまを知りもしないのに、悪く言わないで」

 それ以上続けたら泣き出してしまいそうで、ディーナは口元を硬く引き結ぶ。
 思いっきり顔をしかめて、涙が零れるのを堪えながら、呆然と声を失っている人狼青年を見上げた。

「……なんでお前が、そんな面になるんだ」

 不意に、カミルが深いため息をつき、ディーナを抱き寄せた。そしてフードを軽くもちあげ、リアンを睨む。

「ここで、これ以上の揉め事はごめんだ。まだ納得できないなら、山の鍛冶工房まで来い」

 カミルに手を引かれ、ディーナがやや危なっかしい足取りできびすを返しかけた時。

「……ごめん。ディーナを傷つけるつもりじゃなかったんだ」

 掠れた小さな声がリアンから放たれた。



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