不穏の兆し-1
お茶を終えて帰宅するディーナたちを、サンドラとルカが玄関口まで見送ってくれた。
「それじゃぁね、ディーナ。またお使いのついでにでも顔を見せてちょうだい」
サンドラが微笑み、「構わないでしょ?」とカミルへ言った。
「ああ」
カミルが素っ気無く頷のを見て、ディーナは嬉しくなる。
サンドラやルカがすっかり好きになったし、何よりも、今までカミルが入れてくれなかった領域に入るのを、許されたような気がするのだ。
「ありがとうございます!」
今日はすっかりご馳走になってしまったから、今度来る時はお礼にマロンパイでも焼いて持って来ようかと、早くも頭の中でわくわくと計画を立てる。
ここに来る道中の衝撃……特にバロッコの事は、まだ心の奥で冷たいしこりとなっているが、今はなるべく考えないことにした。
結局、あの男はリアンに痛い目にあわされたわけだし、カミルにもそのことはきちんと伝えてある。
そして、もしもまたバロッコ夫妻に遭遇しようと、次こそは絶対に臆するまいと、密かに決意もしていた。
リアンはディーナよりよほど酷い目にあっていただろうに、あんなに強いのだ。
それを思えば、自分がいつまでもたやすく言いなりになっているのは、とても情けなく思えた。
せっかくディーナに真っ当な生活を与え、力を戻させてくれたカミルにも、申し訳が立たないというものだ。
「ディーナ、行くぞ」
カミルが曇天を仰ぎ、フードを慎重に被りなおした。
「はい!」
元気よく振り向いたディーナは、自分の前に突き出されたカミルの手を見て、首を傾げた。
「何か、お預かりしていましたっけ?」
覚えがないが、大事なものでも預かっていたのだろうかと、焦ってポケットを探り始めると、いきなり手首を掴まれた。
「違う」
カミルがしかめっ面で唸った。
「また迷子になりたいのか?」
「あ……」
手を繋ごうとしてくれていたのかと、ようやく気付き、ディーナの顔が赤く染まる。
「ぷっ……くっく……」
壁に突っ伏しているサンドラは、笑いを噛み殺そうとしているようだが、引きつった声が漏れている。
カミルが舌打ちをし、ディーナの手を握ったまま早足に歩き始めた。サンドラの家は細い小路に入ってすぐの場所にあり、すぐに大きな通りに出た。
「わわっ!」
行きかう人の合間を、カミルは相変わらずスルスルと滑らかに進んでいく。手首を掴まれたまま、ディーナは危うく引き摺られそうになって必死に走った。
だが幸いにも、すぐにカミルは気付いて歩みを弱め、道の脇で止まってくれた。
「人と歩調を合わせるのは苦手だ」
素っ気ない口調でカミルは言い、ディーナと自分の足元に視線を落とす。
「すみません……」
ディーナはしょんぼりと肩を落とし、手を引っ込めようとした。どうやら一緒に歩くより、上着の裾でも掴ませてもらった方がいいのかもしれない。
だが、カミルはいっそう眉間の皴を深くすると、今度はきちんとディーナと手の平を合わせてしっかりと繋いだ。
「努力はする。だからお前も、辛かったらすぐに言え」
ややきまずそうに顔をしかめ……しかし、まっすぐに自分を見つめている吸血鬼を、ディーナはポカンと見上げた。