再会-4
『こんなことも出来ないのかい!? 出来の悪いグズにはお仕置きしなきゃね!』
『ディーナ! 言いつけたことが全部終ってないぞ! お仕置きだ!!』
なるべく忘れようと努めていた農場での記憶が、怒涛のごとく蘇る。
何度も打たれる鞭の痛みに、耳を塞ぎたくなる罵声……いつもお腹が空いて、毎日が辛くて……。
滲みこまされた長年の恐怖は、ディーナの怒りも意志も、軽々と押しつぶしてねじ伏せてしまった。
―― 言う事、きかなきゃ……ぶたれる……嫌だ……嫌……怖い怖い怖い怖い怖いーーっ!!
膝がガクガクと震える。喉がヒリヒリに渇いて、頭の中が痺れて、うまく考えられない。
ここがどこで、自分が今どういう状況に置かれているのかも、次第に曖昧となっていく。
それでも必死に足を動かして、薄気味悪い小路から離れようとすると、バロッコが顔をしかめて低く唸った。
「お仕置きが必要か?」
短い脅しに、ディーナの身体がビクンと震えた。
噴き出ていた冷や汗が止まり、全身がスウッと冷たくなって強張る。
世界から急速に、音や色が抜け落ちていった。
手足は麻痺したように感覚が鈍くなり、頭の奥底から諦めきった自分の声が響く。
―― 逆らっちゃ、だめ…………言う事、聞かなきゃ……怖いの……もう嫌……怖い……嫌……なんにもかんがえたくない……。
蒼白のまま、ディーナの足はフラフラと動いてバロッコに引き寄せられる。
ディーナの首から下がった守り石は、動きに合わせて揺れたものの、なんの反応も示さない。
これは身に付けているものを、強い衝撃や敵意などからは確実に守るが、ちょっと手を引く者まで弾いたりしない。
そこまで一々反応してしまえば、身に付けている限り、誰にも触れなくなってしまうからだ。
もっとも、同じ腕を掴むのでも、逃げようともがくのを強く捕まえられたりする時には、ちゃんと守ってくれる。
……そういった説明は、これを貰う時にカミルからちゃんと聞いていたし、覚えてもいたはずだった。
しかし今のディーナには、死に物狂いでバロッコに逆らい、守り石で己の身を守る手段など、もう考え付けなかった。
自由な思考は完全に凍結し、ただひたすら目の前の男に従って、機嫌を損ねないようにすることしか考えられない。
バロッコは茫然自失となったディーナの腕をとり、饐えた匂いのする小路の更に奥へと連れていく。
ゴミ箱や傷んだ木材の積み上げられた小路に、他に人影はなかった。
「そうだ。いい子にしていれば、お仕置きは勘弁してやるぞ」
大人しく言うがまま歩くディーナを眺め、バロッコが上機嫌といった調子でニタつく。
「見た目も随分と良くなったし、これなら客も十分にとれそうじゃないか。……フン、あの吸血鬼から受け取った金も、結局はフイになっちまったんだからな。お前にはこれから毎日稼いで貰……ひぎゃっ!?」
突然、空を切って飛んできた何かがバロッコの肩に突き刺さり、語尾を打ち切らせた。
バロッコは悲鳴をあげてディーナから手を離し、自分の肩を押さえる。そこには細い木の串が刺さっていた。
「痛かったか? もっと痛い目に会いたくなきゃ、今すぐディーナから離れろ」
聞き覚えのない声が背後から響き、振り向いたディーナの虚ろな目に、先ほど屋台で串焼き肉を頬張っていた青年の姿が映った。
うろたえている迷子のディーナに目を丸くしていた、あの青年だ。
青年は遺跡の探索者なのか、長身の引き締まった体躯に、軽装の旅装をしていた。
若干目つきの鋭い顔立ちは、まだ二十歳そこそこのように見える。口元には犬歯が少し目立ち、黄土色の硬そうな髪はツンツンと後ろ向きに跳ねていた。
声が若干くぐもっていたのは、口の中にまだ肉を頬張っているからだろう。
「ん」
口の中のものを咀嚼しながら、青年は手で何かを投げる仕草して見せた。
どうやらバロッコの肩に刺さっているのは、この青年が食べ終えた肉の木串だったらしい。