再会-3
そして村人達は、夫妻の失脚とともにディーナのことも都合よく、記憶から綺麗に消し去ってしまったのだろう。
バロッコ夫妻は強欲で、利益のためには平気で嘘をつく人たちだったが、カミルに言ったことだけは真実だったらしい。
『この娘がいなくなっても、誰も騒いだりしない』と。
ほんの少し複雑な気分になったけれど、ディーナはそれ以上気にしないことにした。
これでもう決して、バロッコ夫妻の元へ戻ることはなくなったのだし、それで十分だ。
この先何があろうと、山の分かれ道を、東には決して行かずに、嫌な過去なんか全て忘れたい。
すぐに忘れるのは無理でも、少しずつ薄れさせよう。
そう思っていたのに……。
***
「……ん?」
カミルはふと後を振り向き、ディーナの姿が見えないのに気がついて渋面となった。
勿論、ディーナに腹を立てたのではない。迂闊だったのは、ディーナの速度に合わせなかった自分だ。
単に平地を駆けるのなら、九尾猫《ナインテールキャット》や人狼、ケンタウロスなどの方が吸血鬼よりもはるかに早い。
しかし、こういった雑踏の中を素早くすり抜けていくのは、吸血鬼が最も長けている。
むしろ息をするごとく自然に行ってしまうので、ディーナが追いつけないという思考すら働かなかった。
(身勝手・傲慢・恥知らず、か)
吸血鬼に関する一般評価を、カミルは内心で呟き、溜め息をつく。
不名誉な評価を安易に受けたくはないが、少なくとも今、ディーナへ思いやりが欠けていた事は確かだ。
(……まだ、近くにいるだろう)
カミルは踵を返し、責任持って迷子を回収すべく、影のようにスルスルと雑踏の中を戻っていった。
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バロッコの小ずるそうな目が、ディーナの着ているブラウスやスカート、子牛皮の靴などを一通り眺めまわす。特に、見事に加工された守り石の首飾りに目を留めると、涎を垂らしそうな顔になった。
「なかなか結構な暮らしをしているようじゃないか。その首飾りは、誰に買って貰ったんだ? もしや、あの吸血鬼に可愛がられているのか? ん?」
「……」
ディーナが押し黙っていると、バロッコは不快そうな顔をして道に唾を吐いたが、気を取り直したようにヘラヘラとまた笑って見せた。
「何はともあれ、こうして久々に会えたんだ。うちの奴もお前の姿を見れば、さぞ喜ぶだろうよ」
視線は首飾りにギラギラと留めたまま、バロッコはディーナを建物の隙間にある細く暗い小路へ連れ込もうとする。
こういった小路は、ごろつきの溜まり場や、浮浪者のねぐらとなっている所が多いらしい。
それだけならまだ良い方で、誘拐した少年少女を無理やり働かせる非合法の売春宿や、麻薬の売買所に繋がっているところもあるそうだ。
絶対に近寄るなと、カミルにはきつく言われていた。
「まったく、救いの手とはこのことだ。……実は今、ちょっとばかり難儀している所でな。お前はもちろん、恩人の私達を助けてくれるだろうなぁ? お前の両親が死んだ時に、残した借金を用立てたうえに引き取り、養ってやったんだ。困ったときには身内同士で助け合うべきだろう?」
粘つくようなバロッコの声に、ディーナは吐き気を覚えた。
明かにこの男は、また自分を利用して金儲けをしようと企んでいる。
このまま連れて行かれれば、持ち物は全部剥ぎとられるだろうし、ディーナ自身も売り飛ばされてしまうかもしれない。
―― 恩人!? 私を散々苛めて、最後には売ったくせに!
自分は亡き両親が望んだような、優しい子にはなれなかった。
神様なんか信じず、お祈りもしないし、嫌いな人まで捨て身で助けたりしない。
バロッコ夫妻がいくら困っていようと、絶対に助けたりするもんか!
「あんた達なんかもう知らない! 手を離して!!」
ディーナはきっぱりとそう叫んだ……つもりだった。
しかし実際は、蚊の鳴くほどの声も出せず、ハクハクと口を戦慄かせただけだった。
(息が……苦しい……怖い……)
声も出せないまま、ディーナは喘ぐ。
腹の中には、煮えたぎるような怒りが渦巻いているのに……この感情をぶつけて、ありったけの言葉で罵ってやりたいのに……。