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ディーナの旦那さま
【ファンタジー 官能小説】

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4 鼠-2

(た、助かりました。旦那さまぁ……)

 魔法文字の刻み込まれた鉱石ビーズを見つめ、ディーナは目端に涙を浮かべる。
 十メートル以上もの高さから、石も同然の硬い木の上に落ちた瞬間、鉱石ビーズが強い光を放ったかと思うと、見えない柔らかなクッションに包まれたように、衝撃が弱まったのだ。

(……でも、これからどうやって上がろう……?)

 顔を上げれば、ポッカリと開いた穴が遥か高くに見える。
 周囲には細い木の根が綱のように垂れ下がっているが、とても手が届きそうもなく、またディーナの体重を支えられそうにも見えなかった。
 今座っている鉱石木は、曲がりくねったその幹を、片方はずっと下のほうに急降下し、もう片方は崩れかけた壁に食い込ませている。この幹を伝い歩いて他の出口を探すというのも難しそうだ。

 なんとか上に昇る手段を考えていると、またチキチキッと、不気味な音が聞こえた。
 よく周囲を見渡せば、鉱石木の石が放つ柔らかな光とは違う、ぎらついた赤い光がいくつも見える。
 暗闇に慣れてきたディーナの目に、尖った灰色の鼻先が見えた。

(鼠!?)

 そこかしこで鉱石木の枝や壁に張りついているのは、姿こそ鼠にそっくりだったが、頭が二つ並んで生え、大きさは丸々太った豚ほどもあった。
 巨大な双頭の鼠たちは、チキチキと奇妙な音で鳴き合い、上から垂れ下がっている木の根を齧っている。
 突然地面が崩れたのは、雨で地盤が緩んだからではなく、この双頭鼠たちが木の根を齧ったせいかもしれない。

(この変な鼠たち、草食だといいんだけど……)

 熱心に木の根を齧る鼠たちの鋭い前歯に、ディーナは震え上がった。
 落下とともにバスケットも落としてしまった。何か武器になる物はないかと、ディーナが周囲を見渡していると、すぐ背後から鳴き声が聞こえた。
 慌てて振り向くけば、大きな双頭の鼠が、四つの目をらんらんと光らせてディーナに狙いを定めている。
 地下の化物とはいえ、やはり鼠は鼠で、肉も喜んで食う雑食のようだ。
 咄嗟に長靴を片方脱いで手に持ち、振り上げて見せたが、いかにもひ弱そうな獲物の抵抗態度などにひるむ様子もない。

「ひっ!」

 思わず喉を引きつらせた途端、後ろ足で跳躍した鼠が飛びかかってきた。

「いやああ!!」

 ―― 死にたくない!!!

 たった二年前は欠片もなかった、生への強烈な執着が湧き上がる。
 同時に、無愛想な吸血鬼の顔が脳裏をよぎった。

 あの男は、ディーナが死んでも悲しんだりしないかもしれない。
 お守りをくれたのだって、ほんの気まぐれかもしれない。

 カミルは鉱石ビーズの一つくらい、簡単に造れるのだから。
 たった一晩の性行為と、ほんの一口の血液の代金として、三百個もポンと渡せてしまうのだから。

 けれどディーナは、カミルからお守りを渡された時、震えるほど嬉しかった。気まぐれな優しさを一つずつ積み重ねられるうちに、大好きになってしまった。
 いつか棄てられるとしても、一瞬でも長く一緒にいたかった。

 ―― 死にたくない!! 死にたくない!! 旦那さまと、もっと一緒に……

 鋭い牙が届く瞬間、ディーナの首から下げた鉱石ビーズが光った。

「ぎぎぃっ!」

 持ち主を覆う緑色の光りが鼠を弾き飛ばし、双頭鼠は唾液をまき散らしながら暗い奈落へ落ちていく。

「は、はぁ……はぁっ……」

 ガクガクと震える腕で必死に身体を支えながら、ディーナは荒い呼吸を繰り返した。
 周囲では仲間の悲鳴をききつけた鼠たちが、一斉に新たな獲物へと視線を移す。
 無数の鳴き声と共に、鼠たちはディーナに突進し始めた。そのたびに緑色の鉱石ビーズが光り、鼠を弾き飛ばす。
 だが、後から後から沸いてくる鼠を、かぞえきれないほど弾き飛ばした頃、鉱石ビーズに小さなヒビが入った。

「や、やだっ!」

 慌ててディーナは両手でビーズを包んだが、鼠の突進を防ぐたびに、ヒビは見る見るうちに大きく広がり、その光も弱くなっていく。
 そしてついに、大きな音をたてて鉱石ビーズが砕け散った。
 最後に弾き飛ばされた鼠の後には、まだ無数の赤い目が光っている。

「う、く……」

―― 死にたくない!! 絶対、死ぬもんか!!

 もう一度、長靴を振り上げようとした時、不意に頭上から眩しい光が降り注いだ。

『――昼近くまでは晴れない』ぶっきらぼうな声が、耳の奥に聞こえたような気がした。

 昼も間近になり、ようやく切れた雨雲の合間から、太陽が姿を見せたのだ。大きく開いたこの穴にも、眩しい初夏の陽光が差し込んでくる。
 同時に、鼠たちが悲鳴のような鳴き声をあげて後ずさり始めた。

(そうか……この鼠たち、ずっと地下にいたから……)

 暗闇に慣れきっていた生物の目に、太陽の光は強烈すぎるのだろう。
 まさに九死に一生を得たという状況だ。

(助かった……けど……)

 しかし、迫り来る不穏な未来に、ゴクリと唾を呑む。

 気紛れな陽光が少しでも陰ったら……その瞬間に終りだ。



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