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ディーナの旦那さま
【ファンタジー 官能小説】

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3 ラズベリーと銀貨-1

 朝になっても太陽は顔を出さなかった。どんよりした雨雲からは、細い雨があいかわらず降り続いている。

「明日の朝には止むが、昼近くまでは晴れないな」

 カミルはそう言い、朝食を済ませると、出かける支度をはじめた。
 日光が致命傷となる種族ゆえの生存本能か、吸血鬼は天候を驚くほど正確に予知する。ディーナが知る限り、カミルの天気予報が外れた事はなかった。

 カミルは雨よけに黒いフードつきのマントをはおり、例の短剣が入った箱を防水布に包むと、注文主に届けるべく出かけていった。
 行先はふもとの街ではなく、少し遠い場所で、帰るのは早くても明日の朝になるそうだ。

 ディーナはカミルを見送ると、本日は家中の大掃除にとりかかることにした。
 掃除にも入るなと言われている鍛冶場以外は、普段は手の回らない隅々まで、熱心に掃除する。昼食を簡単に済ませて、午後には風呂場の壁や天井も磨く。
 夕方になる頃には、鍋やヤカンまでもすっかりピカピカになり、ディーナは額の汗を拭った。
 疲れたけれど、とても気分がいい。

 農場でこき使われていた頃、掃除はもちろんのこと、家畜や畑の世話も懸命にこなしたが、それは夫妻にぶたれたくなくて、必死にやっていただけだ。
 どんなに上手にできるようになっても、今のような充足感はなく、恐怖という見えない綱で操られるまま、意志のない人形のように労働をしていたにすぎない。
 カミルは確かに色々とひどいが、過分な重労働を強いることも、暴力を振るったりすることもない。無愛想な態度ながらも、いい仕事に対してはきちんと褒めてくれるし、労働の対価もくれる。

 ディーナは棚の隅に置いたガラス瓶へ視線を向ける。台所で見つけた古い空き瓶を貰ったのだ。薄緑色の瓶には、かなりの枚数の銀貨が溜まっていた。
 この近辺で住み込みの使用人に払う給料の相場は、月に銀貨4枚らしい。
 毎月の最終日に、ディーナもカミルからその枚数を受け取っては、この瓶へ大切に貯めている。

 農場の夫妻からは、銅貨一枚だって貰えなかったから、初めて自由にできるお給料を手にした時は、とても興奮した。
 けれど、もしも自分のお金があったらと想像していた頃は、買ってみたいものがいっぱいあったはずなのに、いざとなると使う勇気がなかった。
 一度だけ、お休みの日に銀貨を握って麓の街に下りたけれど、市場を一回りしただけで何も買わないで帰り、また瓶の中に戻した。

 ―― このお金は貯めておこう。いつか、ここを出なければいけなくなった時の為に……。

 カミルは着替えなども買ってくれたから、ここで働いている限り、衣食住にお金はかからない。
 そして月が替わるたびに、瓶の中の銀貨は4枚ずつ増えている。


 陽が沈みきる前に、ディーナは厳重に戸締りをした。
 一人きりの夕食をとり、寝台にも一人で入った。
 今夜は心臓を締め付けられるような思いをすることもないし、大掃除でくたびれているはずなのに、なかなか眠れず、ゴロゴロと寝返りを打つ。

(旦那さま、早く帰ってこないかなぁ……)

 辛くなるのが判っているくせに、あの腕が無いと寂しいなんて、どうかしている……。

(あ、そうだ! 明日の朝、旦那さまが帰ってくる前に、ラズベリーを摘んでこよう!)

 我ながらいい思いつきだと、途端に気分が弾んでくる。
 カミルは食べ物の好き嫌いを口にしないものの、慎重に観察した所、どうやらこの時期に採れる野生のラズベリーが大好物らしいと発覚した。
 去年、無愛想なしかめ面のまま、ラズベリータルトを熱心に食べていたカミルを思い出すと、ディーナの顔は自然とニヤけてしまう。

(まずは採れたてをそのまま出して、ラズベリータルトは絶対……そうそう、ジャムも作ろう!)

 ツヤツヤ輝く赤い実と、カミルの無愛想な顔を交互に思い浮かべながら、ディーナはようやくトロトロと眠りに落ちていく。


 ―― その晩、夢の中でディーナは籠いっぱいのラズベリーを腕に抱えて、一人で夜の山道を歩いていた。

 夜空には大きな銀貨のような月が輝き、銀色の月光を降り注いで足元を照らしてくれる。
 早く帰らなければと急ぎ歩くのに、ちっとも着かない。
 いつのまにか早足となり、そのうちついに走りだして……散々走ってから不意に、自分はどこに帰ろうとしているのかも解らないのに気づいた。

(早く帰らなきゃ……帰るの……)

 自分の帰る場所を、必死で思いだそうとするのに、どうしても思い出せない。

 ……そもそも、帰る場所なんてあるのか?

 気が焦るばかりで、闇雲に走り回る。
 いつのまにか月は消え、ラズベリーの籠もどこかに落としてしまったようだ。
 走って走って走って走って……

 翌朝、目を覚ましたディーナの頬は、涙でグッショリ濡れていた。



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