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隣人
【その他 官能小説】

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その(3)-1

 翌日、結衣と向き合い、小山内に前日の硬さはなかった。
抱えたカバンから現金を取り出してテーブルの上に置くと、結衣は小山内をじっと見つめてから目を閉じて深く頭を下げた。
「ほんとに、感謝の言葉も見つかりません。ありがとうございます」
「頭を上げてください。奥さんのお役に立てるならぼくは嬉しいです。お父さん、よくなるといいですね」
「ありがとうございます……。必ず、お返ししますので……」
「それは後のことです。とにかく、今は治療のことに専念してください」
「すみません……」
彼は確認のために訊いた。
「これは、ご主人には内緒のことなんですね?」
「はい……。プライドが高い人なので、とても言えません。ぜひご内密に」
「もちろんです」

 小山内の心に温かな満足感があった。
(彼女が喜んでくれている……)
そして二人だけの秘密を持ったことにもなる。結衣にたよられていることが何とも心地いい。

「あの、お食事は?」
「ええ、済ませてきました」
「それじゃ、お酒でもいかがですか?」
「いえ、おかまいなく」
「お時間がありませんか?」
「そんなことはないですが、ご主人のお留守にそんなこと……」
「気にしないでください。いまビールをお持ちします」
小山内の返事を待たず立ち上がった結衣の姿態を眺めながら、かすかなときめきを抱きしめた。

 他愛無い話で物静かな結衣の口元がほころぶ時、小山内の心に彼女への想いが一滴滲み、それは次第に潤いとなって募り始めていた。

 ほろ酔いのせいもあったのか、田之倉の存在も薄れ始め、隣にいるはずの妻のことも気にならなくなった。
(楽しい……)
彼女といるだけで、話をしているだけで幸福感が満ちてくるようだった。邪心などなかった。いや、あったのかもしれない。女性としての結衣に想いを寄せていたのだから性的欲望がなかったはずはない。しかし、初恋の少女と憧れの女優を彷彿とさせる、いわば理想の女として結衣を見つめていた小山内にとって淫らな妄想よりもまず彼女の存在そのものが愛おしかったのであった。

 ところが、帰り際の結衣の吐息のような熱い言葉に小山内はよろめいた。
「明日、夜、また来ていただけます?」
「明日……」
「ぜひ、お願い……」
結衣の瞳が潤むように輝き、喘いだ息が吹きかかった。
「ぼくは、かまいませんが……」
「でしたら、早めに来てください。あなたとの時間をすごしたいのです……」
小山内は無言で頷いた。目を合わせず、声は掠れていた。
そのほんのり赤みのさした目元の色香は思わず胸を衝かれるものであった。


(何かが起こるかもしれない……)
そんな予感が走った。
 何気ない風を装いながら、動悸は乱打していた。
人妻の結衣が囁いたのである。これ以上の魅惑の言葉があるだろうか。
 小山内が結衣の『女』をはっきり意識した瞬間であった。
(彼女も女なんだ……)
当然のことが朝露のように彼の心に膨らんだ。


 家に帰り、一心地つくと、さすがにさまざまな想いが巡った。
(彼女と、もし、何かあったら……)
妄想が広がり、それとともに不安な想定が浮かんでくる。
 不倫ということになる。知られたら怖いのはむろん田之倉だが、万一明るみに出るようなことになったら仕事が危うくなる。国家公務員である。トップではないが過去に週刊誌ネタになったことは何度もある。個人的な不祥事であっても立場上周囲の目は放ってはおかない。圧力がかかって職を追われることになる。表沙汰にならなくても依願退職をした先輩や同僚を何人か見てきている。
(大丈夫だとは思うが……)

 彼女に頼まれて金を貸したのだ。こちらから行動を起こしたのではない。いまはとにかくそれだけだ。……
 亜希子に罪悪感は感じていない。いつ別れてもかまわないとすら思っている。夜の交わりは月に何度かあるが排泄行為のようなものでこまやかな愛撫を施すことはなくなっていた。妻も求めには応じるものの夢中になってしがみついてくることはなかった。互いに醒めているのに体を合わせる肉欲が時に悲しかった。

 
 



 

 


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