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隣人
【その他 官能小説】

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(その1)-1

「お隣って、なんか雰囲気暗くない?」
妻の亜希子が食事の皿を並べながら言った。
「ご主人も怖そうだし、奥さんはあまり笑ったの見たことないわ」
つい一ヶ月ほど前に引っ越してきた夫婦のことである。
「そうかな……」
小山内幹夫は関心のない返事をしてテレビのニュースに目を向けたままビールを飲んでいた。

(他人のことはどうでもいい……)
妻は他人の家のことや噂話が好きである。どこそこの家は車を買い替えただの、年末は海外で過ごすみたいだとか、あるいは借金で離婚した家のことなど、彼にとっては聞きたくないことばかりだった。マンション中の情報を集めているのではないか?
(うんざりする……)
 それでも以前は相槌を打って聞いていたものだが、最近は耳障りになり、時には不快に感じるようにもなっていた。
(自分はどれほどのものだと思っているんだ……)

 いつからだろう。妻を疎ましく思うようになった。
小山内は三十五歳、結婚して十年になる。亜希子も同い年である。
(もともと俺のタイプではなかった……)
いまさら卑怯だが、そう思う。

 亜希子と知り合ったのは同僚が設定した合コンである。
そういう集まりには興味がなかった。女に関心がなかったのではなく、むしろ人並み以上に性欲はあった。ただ、物欲しそうな作為的な『出会いの場』が嫌だったのである。
(さもしい……)

「そんな深く考えることじゃないだろう」
同僚は半ば呆れながら笑い、
「切っ掛けだよ。そこで付き合おうと遊ぼうと自由だよ。出会いってそういうもんだろう。お前も古いというか……。もっと軽い気持ちで受け止めろよ」
「わかってるよ」
頑なな信念があったわけではない。
 何度か断っていたが、ふと気まぐれに参加した時に亜希子がいたのである。

 同僚に言わせると、合コンの参加を希望する女は引きも切らないという。
「打算的な女が多いってことだよ」
小山内たちはS省の国家公務員である。キャリアではないが、それに準ずる立場で、地道ではあるがそこそこ収入もあり、『霞が関』と称される国の中枢を担うイメージが一部の女の虚栄心を刺激するようだった。なにより、将来は安泰である。
「だから、相手の本質を見抜くためにもいろんな女と知り合ってみるのさ。結婚となったら一生のことだからな。十分時間をかけないと」
同僚は冗談とも本気ともつかない笑いを浮かべて言った。

 昔なら公務員といえば堅物で面白みのない『人種』と見られがちだったものだが、近頃は『堅実』であることが男選びの条件として不動のものになっているようであった。
堅実とは安定した生活、つまりは、
(金か……)
それは生きていく上に重要な要素ではある。
(だが……)

 亜希子が意識して小山内に視線を送り、隣に座って身を寄せてきた時、何となく醒めたような気持になったものだ。
(女が何を求めているのか……俺に惹かれて近づいたのではないだろう……)
会ったばかりで相手の何がわかるわけでもないのに、気が付くと疑心を巡らせ、自己嫌悪に陥ったのだった。

 亜希子は世間的に見ればかなりの美人であった。
「いい女捉まえたな。うまく楽しめよ」
同僚が羨ましそうに言ったものだが、小山内は夢中になることはなかった。
 付き合い始めたのは亜希子の誘いにもよるが自分の中にも流れのようなものがあったのだろう。
 何事も思い通りにはいかない。特に結婚は理想を追い求めたら切りがない。それに惚れた相手だからうまくいくとは限らない。

 一年後、亜希子と結婚すると訊いて、同僚は驚いていた。
「本気だったんだ。青地玲とはタイプはちがうけど、けっこういい奥さんになりそうだな。おめでとう」
 青地玲とは若手女優である。清楚で小柄な少女のような純真な瞳が魅力だった。むろん憧れの存在である。現実の中に置いたことはない。ただ、彼女を彷彿とさせる高校の同級生がいた。
(今宮志麻……)
密かに想い続けていた。卒業以来年賀状のやり取りだけの繋がりだったが、いつかは、と心の火を絶やさずにきた。それがこの年、結婚することになったと添え書きがあった。
『お元気で……』
細い糸が切れた。……

 以来、亜希子にのめり込むようになった。
妥協だけで結婚は決意できない。
(可愛い……)
官能的な肉体を彼に捧げるように晒す彼女を愛おしいと思うようになった。それは愛というより、漂う心が行き着いた船溜まりのようなものだったのかもしれない。
 ともかく、従順に彼の求めるままに身を預ける亜希子を抱きながら、
(結婚生活とは築いていくものなのだろう……)
何とかやっていけそうな気がしたのだった。

 ところが暮らし始めてほどなく、期待をもって臨んだ甘い生活は澱みはじめた。理想は捨てたはずだし、多少のことは目を瞑って長い目で見守るつもりでいた。だが、亜希子の性格は彼の抱いていた家庭生活構築の夢を失わせた。
 料理が不得意だとは聞いたが、まさか連日スーパーの惣菜が並ぶとは思わなかった。
「そのうちいろいろ覚えるからね」
本人も気にはしていたようだ。
 通販の商品が日に日に増えていった。美容器具やダイエット関連の器具、食品。
「だって、あなた痩せてるほうがいいんでしょ。青地玲みたいに」
同僚の誰かに聞いたのだろう。
「ばかなことを……」
言葉がなかった。
 最も心に重かったのは子供が欲しくないと言った時だった。
「重荷でしょ、子供って。自分たちの人生を楽しみたいわ」
その時、別れていればよかったのかもしれない。……十年の歳月が過ぎ去った。 


   


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