第三章-1
飯能で乗り換えて秩父に向かう。
電車が進むとだんだんと武蔵丘陵が迫ってくる。子供の頃は山々が近づいてくると窓に顔をくっつけて車窓の景観に見入ったものだ。
芦ヶ久保に停車して、いよいよ山の雰囲気に包まれてくる。駅のホームに果樹園の看板が立ち並んでいるのを見て、
（そうだ……）
伯父と桃狩りに来たことを思い出した。タエも一緒だった。中学二年の夏。蔵で衝撃的な絵を見つけた翌年のことだ。
桃を手に取ってまず連想したのはタエの乳房である。風呂場で初めてみた豊かな乳房。白い肌がほの赤く染まった膨らみ。そこに何度も口をつけ、揉み上げた。
振り向くとタエが笑っていて、桃よりももっとたわわな胸が揺れていた。
「坊ちゃん、桃はすぐいたむからぎゅっと掴んじゃだめだよ」
「知ってるよ」
表面の産毛まで人肌に感じられた。
一年前に精通があってからオナニーを覚えた。それとともに性の知識が湧水のようにあちこちから流れ込んできた。男女の大まかな生理や営みについて知るのに半年もかからなかった。むろん実体験はなかったのだが、射精の快感を知ったことで女体への興味が日に日に高まってきていた。
一年前にはさほど関心のなかった下半身にも妄想が働くようになっていた。歩くタエの左右に揺れるお尻を見ながら、
（いま割れ目も動いているんだ……）
性器に対する執着が数段高まってきていた。
籠に入れた桃を持って車に戻る途中のこと、並んで歩いていたタエがよろよろと膝をついてそのまま尻もちをついた。
「なにやってるんだ、タエ」
大笑いを浴びせて顔を覗くと、ゆっくりと仰向けに倒れていった。
「タエ……」
ふつうではないことは私にもわかった。火照った顔から血の気が引いて蒼白である。
前を歩いていた伯父が気づいて駆け寄ってきた。
「どうした」
「ちょっとふらふらしちゃった……」
タエは肘をついて半身を起して力なく笑った。
「待ってろ。エンジンかけてくるから」
私は倒れないように肩に手を当てた。
「大丈夫？」
「うん……もう平気……」
顔色はいつもとまるでちがう。言葉にも元気がない。
手のひらにタエの体温が伝わってくる。彼女の具合が悪いというのに、私はその時ブラウスの襟元を覗いていた。汗で光る白い胸元が見えた。
「クーラーかけてきたから」
戻ってきた伯父は桃の籠を私に持つように言い、タエを抱きあげた。
「歩けるよ、伯父さん……」
「いいから」
タエの体は伯父に抱えられ、すっぽり胸に納まった。私は籠を両手に提げながら後に従った。尻も背中も伯父の手に触れている。
（タエを触ってる……）
妬けつく想いで胸が熱くなった。
（歩けると言ってるのに……）
タエの体の心配よりもそのことばかりに囚われていた。
車の近くになって伯父が前を向いたまま言った。
「隆司、ドアあけてこい」
タエと目が合い、私は走り出した。
家に着く頃には顔色もだいぶよくなっていたが、伯母は少し横になるように言って一緒に部屋に連れていった。
「どうだ、具合は」
伯父が訊くと、伯母は私に目を向けてから、
「血の道」と一言、言った。
「タエ、病気なの？」
「病気じゃないよ。すぐよくなるよ」
伯父が苦笑したのにつられるように伯母も笑った。
「一人前だからしょうがないわ……」
伯父は黙って籠から桃を取り出していた。
「あとで遊べるかな」
「今日はやめといたほうがいいね」
私は真の意味を知らず、ただ健康がよくないのでしばらくは蔵に行くこともないだろうと思っていた。
「明日、また行ってみるか」
伯父がタエの部屋のほうを見ながら言った。
「あちらの家ですか？話してもだめなんでしょう？」
「時々は行かないと……」
タエの家に行くらしい。去年もあった。タエを帰したいのだろうか。
翌日、伯父はタエを連れて車ででかけて行った。タエは後ろの座席で下を向いていた。
その二日後の夜中、タエが行動を起こした。眠っていた私が微かな物音で目覚めたのは、夜毎タエを意識して神経を張りつめていたこともあったが、何より心身が成長したということだろう。
頭は冴えていた。蒸し暑い夜なのに背中に流れた汗は冷たく感じた。
襖に身を寄せて耳を欹てる。
（タエの足音……）
足音とはっきりしたものではない。忍びつつ、音をひた隠すような、それは『気配』であった。
（トイレじゃない……）
襖をそって開けて『気配』を追う。
裏口に行ったようだ。
私はトイレに向かった。窓から蔵の入口を見るためだ。
電気を点けずに身を入れた。籠った臭気が鼻をついた。
間もなく静寂の中に土を踏む音が聞こえ、私は息を詰めて窓から目を覗かせた。
（タエ……）
白っぽい浴衣が蔵に消えた。首筋に汗が伝った。
（あの絵を見る……あのペニスを……）
そして何をするのか。頭の中にタエの股間が広がる。
（オナニーをするんだ……）
私は蔵に行く決心をした。去年は『アソコ』をよく見なかった。あの時はオッパイのほうがよかったが、いまはちがう。
軋む音がして首を竦めた。思いがけず黒い影が裏口に現われ、一度立ち止まると窺うように振りむいてから静かに戸を閉めた。
青白い月明かりを受けて浮かんだ姿。膝が震えた。
（伯父さん……）
戦慄した。しかし驚きながらも、なぜ？とは思わなかった。桃狩りの時にタエを抱きあげた光景が脳裡に流れた。そしてふと思い出したのは伯父が釣り上げたヤマメだった。まだぴちぴちと跳ねているのを押さえつけて出刃庖丁で捌いている姿。腹を切り裂き、どろりと流れ出た血の混じった臓物。私はかすかな吐き気を感じて俯いた。
伯父の姿は蔵の中に消えていき、やがて夜空の星へ囁くようなか細いタエの声が聞こえてきた。