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栗花晩景
【その他 官能小説】

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晩景-1

 朝早く家を出て、上野から普通列車で高崎へ。そこからローカル線に乗り継いだ。
 数日前、無性に旅に出たくなって、小幡という古い町から富岡を訪れることを思い立った。書店で目にした雑誌が切っ掛けである。周辺のいくつかの歴史的施設が世界遺産の暫定リストに載ったことで少しく話題になっていた。
 弥生の影響だろうか、いつの頃からか歴史的佇まいを味わう興味を持つようになってはいたが、特に固執した想いがあったわけではない。どこでもよかった。富岡が弥生の父の故郷だったと思い出したのは後のことで、彼女の面影を意識したものではない。

 梅雨明けの宣言は昨日のことだが、梅雨前線の消滅から数日は経っている。
 上州福島からほぼ一直線に延びた道路には炎のような陽炎が立ち、灼熱の日差しは刺すような痛みすら感じる。ほんの数キロの道程のはずなのに、炎天下の長い登りが体にはこたえる。

 小一時間もかかったろうか、こんもりと木々の塊が見え、足を速めるとそこが小幡の町であった。
 家並みに差し掛かると炎暑の道が緑のオアシスに変わる。町の中央を水路が通り、清らかな水が音を立てて流れている。そこに沿った道沿いに桜並木の緑陰が続き、涼風を運んでくる。
 真壁のような歴史的建造物は少ないが、景観そのものに時代を感じる。町並みの形態が変わることなく数百年の時を経てきているからにちがいない。ふと、弥生が好みそうな風情だなと思った。

 人の姿は少ない。それでも静かな雰囲気の中に人々の生活感が感じられた。
 町の中心の一画には武家屋敷が風格ある趣をみせて佇み、時の流れを語っている。今でも子孫が住んでいて、気の遠くなるほどの人の営みに感嘆させられたことだった。

 一時間ほどの散策で汗が滴り落ちてくる。富岡方面に向かう道路を北上すると程なく広い駐車場を備えた物産センターがあり、土産物のほか弁当や飲み物などを販売している。

 喉を潤し、ひと心地ついて見上げる夏空は眩しくて目を伏せた。
(遠い夏の日もそうだった……)
なぜか子供の頃の夏休みの思い出があらわれてきた。
 日陰のベンチで休んでいると、ときおり心地よい風が頬を撫でていく。のどかな田舎の町は白い夏に被われていた。

 重々しいエンジン音が響いて三台のバイクが滑るように入ってきた。連なって場内を大きく半周して休憩所の前に並んで停車した。
 三人ともジーパンに皮のハーフブーツを履き、フルフェイスのヘルメットをかぶっている。Tシャツに浮き出た体から若い娘である。

 ヘルメットを脱ぐと一様に火照った笑顔が現われた。
「暑い!」と一人が言い、二人も続いた。
「何か飲もう!」
黄色い声を弾けさせながら駆け込むように店に入っていった。

 少しして娘たちのすらりと伸びた長い脚が靴音を立てて私の前を横切った。
「今度はアイス」
「何にしようか」
ソフトクリームの店がある。何年食べていないだろう。ふと思い、誘われて食べてみたくなった。
 暑さのせいでこの売り場だけは小さな列ができている。
 娘たちの後ろに並ぶと、一人が振り向いた。そしてにっこり微笑むと、
「お先にどうぞ」と掌をみせた。
私が一人なので順番を譲ってくれたのである。さほど時間のかかることでもないので辞退すると、他の二人も、
「どうぞどうぞ。まだ考え中なので」
身を引いて明るく笑うのだった。
「ありがとう」
「いいえ」
こそばゆい嬉しさが広がった。素直な気遣いがさりげなく手渡された。

 バニラやチョコレート、レモン味。どれにしようか、三人は楽しそうに選んでいる。他愛ない会話とともに若い匂いが流れてきた。
 アイスを受け取ると、私は後ろを指して四人分の代金を置いた。
「後ろの分も」
彼女たちは顔を見合わせ、すぐに、
「わあ、ラッキー」
遠慮のない笑顔が清々しかった。
「ごちそうさまです」

 三百円のソフトクリームに大騒ぎをする彼女たちから弾き出され、私はぶらぶらと歩きまわった。駐車場に隣接して、移築された古民家や町の成り立ちを記した案内などがある。
 これから富岡製糸場まで歩き、今夜は高崎のホテルに泊まる予定である。明日は川原湯温泉に宿を予約してある。ここも雑誌で知った所で、何年かのちにダムの底になる古い温泉場だ。その先はどうするか、決めていない。


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