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栗花晩景
【その他 官能小説】

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秋雨道標-5

 卒業旅行は弥生の希望するところへ行こうと決めていた。思い出作りというより、私にとっては彼女との新たな旅立ちの意味合いをこっそり抱いていた。関係をもった頃の不純な動機を贖罪し、これからは弥生の好きなことに自分がついていくのだと決意をもったものだった。

 気がかりだったのは晴香からもたらされた情報のことであった。その信憑性は、彼女の就職に対する姿勢とも絡んで私の不安に癒着していた。
(一生の問題だから……)
市役所に採用が決まったあと、彼女は必死だったと言った。当時の一般論からすれば女性がそこまで仕事に執着することは考えにくいことであった。
 家族を背負って生きていくために、二十二歳の若さですでに結婚を諦めているのだとしたら、その決意はたまらなく哀しい。
 そんなことがあるのだろうか。間違いであってほしい。もし本当であったとしても早々に結論を出さないでほしい。祈るような気持ちであった。弥生は私の内で持て余すほど大きくなっていた。

「筑波の旅館に行きたい」
弥生が私の目をじっと見つめて言った時、私は心の陽光が閉ざされた想いを味わった。
(彼女はその日を訣別の日にしようとしている……)
それは直感のようなものだった。
 嬉しさに満ちた笑顔を見せてはいたが、芯に秘めたものが感覚された。
「もっといいところ、いっぱいあるよ。伊豆だって、もっと遠くだっていい」
「あそこがいいの。だって思い出の場所なんだもの」

 その言葉に嘘はなかったと思う。しかしだからこそ素直に喜べることではなかった。思い出というほど昔のことではない。
「じゃあ、また車で行こうか」」
「うん。ずっと話しながらね」
楽しいはずの旅行の話がとても息苦しかった。


 その日は朝から気温があがって四月中旬の陽気になった。しばらく前から暖かい日が続き、桜の開花予想も早まって、初夏を思わせる日差しが降り注ぐ日であった。

「あったかくてよかったね」
弥生の嬉しそうな顔に私も笑顔でうなずいた。
(今日と明日は何も考えずに楽しく過ごそう……)
心のしこりは胸を鈍く圧してはいたが、弥生のためにも気持ちを切り換えねばならない。卒業式も済み、学生時代は終わったのだ。これから別々の道を歩いて行く区切りの日をふさいだ気分でいては彼女に申し訳ないと思った。今の時点で何もはっきりしたことはわからない。

 早めに出発したのでどこかに寄ってみようということになった。
 どこにしようかと思案していると、
「真壁に行きたい」と弥生が言った。
地図で探すと筑波山のすぐ北側にある町だ。
「近いよ。真壁って、何があるの?」
「古い町並みがそのまま残っているらしいの。江戸時代や明治の建物がたくさんあるんだって。前から一度行ってみたかったの」
「そういう趣味があるんだ」
「だって、文化研究会だもの」
私たちは声を出して笑った。いったん治まって、顔を見合わせるとまた噴き出してしまった。笑いすぎて腹が痛くなった。
 さんざん笑ったあと、気が抜けたように二人とも押し黙った。車のエンジンの音が静かな唸りをあげていた。


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