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栗花晩景
【その他 官能小説】

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雨模様(2)-8

 二月に入ると三年生は特別なスケジュールとなる。ほんの数日登校するだけでほとんどが休みになる。
「これから毎日会えなくなるわね」
三学期になってから美紗はぼんやりした表情を見せることが多くなっていた。

「卒業って、嬉しいのかしら……嬉しいんですよね……」
黙っていると、
「だって、大学で新しいお友達と知り合うんですもの。楽しいに決まってる……」
美紗の横顔は淋しそうだ。

 薄暮の帰り道。二人して何度この道を歩いただろう。振り返ってみると知り合って半年あまりなのに二年も三年も一緒だった気がする。高校生活が終わろうとしている今、もし彼女の存在がなかったら何が残っただろうと思う。友人もいるし、何かしらの足跡もあるにはあったが、それらは美紗一人に被われて霞んでしまっている。

「高校とちがって全国からいろんな人が集まってくるんですよね」
私が何も言わないので、美紗はセリフの練習のように自分で頷きながら喋っていた。
「大学生って、二十歳になっていないのにお酒飲んじゃうんですって。コンパって知ってる?」
彼女の兄はM大に合格していた。きっと兄からの情報なのだろう。
「お兄ちゃんも入学したらコンパに行くんだって。男子も女子もいっぱい集まるんだって。磯崎さんもお酒飲む?」
自由奔放な学生生活を自分なりに作り上げ、その中で面白おかしく過ごす私を想像しているらしい。

「大学って高校みたいに規則がなくて自由なんでしょう?やっぱり楽しいわよね」
「ぼくはあまり嬉しくないな」
言い淀んでからぽつんと言うと、美紗の口元が心持ち引きしまった。
「なぜ?」
「なぜって……」
俯いて歩く美紗は言葉の続きを待っている。

 簡単な一言が出てこない。別れたくない……。
「人と離れるから……」
曖昧な言い方になった。
「友達と?」
「……」
訊かれて歩みが遅くなった。答えに窮したわけではない。それは美紗に決まっている。だからあえて別れるとは言わずに離れると言ったのだ。美紗の名を言いたくて口ごもったのである。
 これまで美紗の名を呼んだことがなかった。妙な照れがあってこの日まできてしまった。時間が経つほど呼びずらくなり、いつも心に引っ掛かっていた。委員会では中野さんと呼んでいたし、二人きりの時は呼ばずに済んだのでなおさら機会を逸していた。
 だが今は美紗の名を口に出して言いたかった。

(美紗……)
「友達もいるけど、そうじゃない……」
「ちがうの?」
「……美紗ちゃんと……」
軋むほどに奥歯を噛んだ。
「あたしも、磯崎さんと離れるのいやだから、卒業式こないでほしい」
すぐに応じてくれた美紗に救われた。
「大学に行っても、会ってくれますか?」
「当然!」
おどけて答えると美紗は弾ける笑顔を見せて小指を差し出した。
「約束」
「うん。約束」
小さな指が絡んだ。
「その前に春休みにまたどこかへ行こう」
「はい」
 美紗を自分のものにする。……強い想いが起こって着実に動き出していた。アルバイトを始めたのもデート代にあてる目的もあったが、美紗がジーパンを買うために貯金をしていると話のなかで聞いたことがあって、それをプレゼントしたかったのである。
(きっと喜ぶ……)
そしてその日は二人の愛が結ばれる感動の一日となる。
 私たちの小指は離れず、手を握り合い、それは駅まで離れることはなかった。


 卒業式では美紗が迎えてくれた。彼女は体育館の入り口で卒業生の胸にバラの記章をつける係をしていた。係は三人の女子が担当している。私は美紗に当たりたくて流れの中で一人二人と順番を譲ってタイミングを見計らっていた。すると一人の生徒が私に気づいてくれた。
「美紗、美紗」
その子は美紗を移動させて私を手まねきして、
「おめでとうございます。どうぞこちらへ」

「終わったら、校門にいます」
美紗は目を合わさずに花をつけてくれた。わずかな時間なのに息がかすかに吹きかかって、温もりが伝わってくるような気がした。

 式の終了後、校門付近は記念撮影の人でいっぱいであった。友達同士、親子、また担任を囲んでいる仲間たち。涙を流して抱き合う女子もいた。誰もが感激のひとときに酔いしれて周りの目を気にすることのない状況である。それでも美紗は喧噪を離れて佇んでいた。

「おめでとうございます」
笑みを湛えてはいたが瞳は潤んでいる。
「これ、お祝い……」
手渡されたものは箱の大きさから万年筆だと思われた。
「ありがとう……」
言ったきり言葉が途切れ、美紗も唇を噛んで無理に笑おうとしていた。
「春休み、絶対行こう」
「うん」
大きく頷いた時、頬に涙がこぼれた。私は胸がつまって息苦しくなり、やっとのことで手を差しだした。美紗の手は冷たかった。

「よお!」と声をかけてきたのは西田である。
「どこかで会おうぜ。がんばれよ」
にっこりと笑った。初めて見る、少年のような顔だった。
 彼の後ろ姿を見送りながら、私たちは手を握り続けていた。


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