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今日もどこかで蝶は羽ばたく
【ファンタジー 官能小説】

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恋するビースト-3

「どうした?」

「い、いえ……」

 メルヴィンは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐ視線をそらし、低い事務的な声で告げる。

「ルビー、大事な話がある。部屋に来てくれ」

『大事な話』という単語に、ドキリと心臓が跳ね上がった。

「はい……」

 ドクドクと不安に鳴り響く鼓動を堪えながら、メルヴィンの私室に入った。
 メルヴィンの私室に、掃除以外で入ったのは二ヶ月ぶりだ。
 座るよう言われ、低いテーブルを挟んでメルヴィンと向かい合い、そわそわとスカートを握り締める。

「新しい条例の話は聞いたか?」

 開口一番に尋ねられたのはそれだった。

「は、はい!メルヴィンさまのお家が、あの条例を決めたと……」

 大喜びでお祝いを言おうと思ったのに、藍色の瞳が苦悩の色を浮べているのに気付き、口をあけたまま固まってしまう。

「あれは、償いなんだ」

「え……?」

 そしてメルヴィンは、寡黙な彼には珍しく長い話を始めた。

「……お前をビースト・エデンに行かせようと思ったのも、イグレシアスの子孫として、俺なりの償いだ」

 トレイシー・イグレシアスの功績と罪を聞き終わった後、ルビーは小刻みに震えていた。
 怒りや悔しさではない。ただどうしようもなく身体が震え、両腕を自分に巻きつける。

 メルヴィンは感情を消した目でそれを眺め、鞄から封筒を三通と布袋を取り出しテーブルに置く。
 封筒の一通は簡素で小さいものだったが、もう二通は一回り大きく重々しい金の蝋封がされていた。

「遅くなってすまなかった。約束の金貨百枚に、追加の日数分を上乗せした」

 大きな手で軽く押された布袋から、硬貨の鳴る音がする。

「あ……」

「これが船のチケットだ。出発は十日後になる」

 小さな封筒が示された。

「こっちは特状だ。役人に何か言われたら見せろ。お前の旅はイグレシアス家の正式な許可を受けたものだという証拠になる。それから……」

 大きな封筒の片方を示してから、メルヴィンは最後に残った封筒を手に取る。
 赤いリボンをつけたそれを、ルビーの前に差し出した。

「緑の大陸には、俺の叔父上が隠居して住んでいる。何かあったら頼るといい。少し変わっているが、悪い人じゃない。きっと力を貸してくれる」

「……」

 勝手に涙が溜まってくる眼をしばたかせ、ルビーは金袋と封筒をみつめた。
 どうしてだろう?
 これが欲しくて頑張ってきたのに、ちっとも魅力的に見えないなんて……。
 身動きしないルビーに、メルヴィンはわずかに眉をあげた。

「やはり、祖先の仇からは受け取れないか?」

「そうではないのですが……」

 どうしたらいいのか、自分がどうしたいかもわからなく、ただ首をふる。
 メルヴィンは黙ってルビーを眺めていたが、やがて口を開いた。

「とにかくこれで、契約は終了だ」

「はい……」

「だから、今度は命令じゃない。惚れた女への対等な頼みだ」

 低い声が、僅かに震えているような気がした。

「緑の大陸に行かず、ずっと俺と一緒にいてくれ」

 信じがたい言葉に、ルビーは耳を疑った。思わず立ち上がりかけたが、大きな手に両手をしっかり掴まれる。

「逃げるな。お前がビースト・エデンに行きたいなら、チケットを取るだけでいい」

「で、でもっ!私は獣人です」

「ああ、俺の嫁になんかなったら、きっと苦労をかけると思う」

 妙な返答にルビーは驚く。
 首を殆ど真上にあげ、身長の違いすぎる元・主人を見上げた。

「いえ、私ではなくメルヴィンさまが……」

「俺は今でも十分変人扱いされてるぞ。妙なあだ名まで付けられてな。今さら何を気にするっていうんだ」

 『無気力ジェノサイダー』なんてあんまりだ、とメルヴィンはぼやく。
 そういえば、大陸各地の悪党から恐れられているらしい二つ名を、彼は気に入ってなかった。
 そんな事を思い出し、思わず笑ってしまいそうになった。
 しかし、ルビーの両手を握る手に力を込め、メルヴィンが真摯に告げる。

「貴族の嫁になった獣人に、嫌がらせをする奴もいるだろう。俺は全力で守るが、それでも同族と暮らすようにはいかないはずだ。それに、人間の俺とでは子どもも出来ない」

 初めて会った日、気絶するほど恐ろしく見えた帝国軍人の青年は、不安でたまらない子どものような目をしていた。

「それでも……俺は勝手だから、ルビーと一緒にいたい。ルビーに俺を愛して欲しい」

 名残惜しそうにゆっくりと、手が離されていく。
 自由になった自分の両手を、ルビーは見つめた。
 毛皮に覆われていない、人間そっくりの手。だけどこの手は、いつだって獣のそれになれる。
 ルビーは獣人で、メルヴィンは人間だ。

『――ルビー、人間に恋だけはするんじゃないよ』

 遠い日の、婆さまの声が蘇る。

 ――だがね、もし恋をしてしまったら……

 あの日婆さまは、まるでルビーの未来が見えていたようだった。

 ――相手を信じて、私とは違う道を歩くのも、良いかもしれないねぇ。

 


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