乾いた餓狼に極上の獲物を-2
「……暗殺者失格ね。私が死ぬ覚悟で大声をあげたら、どうする気だったのよ」
「君は自分の命を大事にしそうですからね。実際に、叫ばないでいてくれているでしょう?」
ウォーレンの指摘に、タバサがいっそう眉をきつく寄せて唇を噛む。
「あんまり殺しすぎて、頭がおかしくなったんじゃない? それとも、私に裏切らせない自信か手段でもあるの?」
「……いえ、特になにも。君を信用するしかありませんね」
「じゃぁ、やっぱりイカレてるんだわ」
「そうかもしれません」
ウォーレンは苦笑した。
笑ったなど久しぶりで、ひきつった変な顔になったんじゃないかと思う。
彼女の言うとおり、自分の中身はとっくに壊れてしまっているのだ。
そうでなければこんな提案などせず、とっくに喉を切り裂いて終わったはずだ。
「ただ、君を一目で好きになり、欲しくてたまらなくなってしまったのです。裏切られたらそれでも結構だと思うほど」
両手を離し、喉から爪を引いて人型に戻った。
タバサが大きく胸を上下して、詰めていた息を整えている。額から汗が滴っていた。
「ふぅん。平気そうにしていても、やはり怖かったですか」
狐の耳元に口を寄せてウォーレンが囁くと、不機嫌いっぱいな目で睨まれた。
「この……っ!?」
身を屈め、喉の浅い傷へ舌を這わせると、ヒクリとタバサの身体が震えた。
口内に鉄さびの味が広がる。
獣人は獣と違うのだから、生の血肉はあまり好まない。人間の味覚と同じだ。
呆然と半開きで震えている唇を、指でなぞった。特に皮膚が薄く柔らかい部分の感触に、全身の毛が逆立つほど興奮する。
「こちらも舐めたいですが、そのまま止まれなくなりそうですからね。残念ですが我慢します」
「……じゃあ、いつまで乗ってるつもりよ。重たいわ」
僅かに震えていたが辛辣な声で、退けと催促された。
「ああ、失礼しました」
立ち上がったウォーレンは灰色の尾を一振りしてから、膝についた土汚れを軽く払う。
タバサが立ち上がるのに手を貸そうとしたが、跳ね除けられた。彼女は自力で立ち上がり、頭一つ高いウォーレンを毅然と睨みつける。
「後悔するわよ」
今度はさっきよりもう少し自然と、苦笑が口元に浮かんだ。
「申し遅れました、諜報部のウォーレンと申します。四号舎でお待ちしておりますよ、タバサ」
「……今日初めて会ったのに、さすが諜報部ね。軍の兵を全部覚えているの?」
「まさか、君は目立つだけですよ」
「本気で、わたしが行くと思っているの?」
「期待しております」
ちょうどその時、獣人たちの鋭い耳が、遠くから近づく見回りの足音を聞きつけた。
一声もかわさずに、そのまま二人は別方向へと逃げる。
ほどなく宿舎のほうから悲鳴が聞え、兵たちが騒ぎ出した頃には、ウォーレンはとっくに自分の部屋へ戻っていた。
「―― 何よ、その顔は」
ポカンと口を開けているウォーレンを、昼日中に玄関から堂々と四号舎に訪れてきたタバサが、不機嫌そうに見上げる。
「自分で来いっていったくせに」
「ええ……」
困惑したウォーレンは、灰色の髪をガシガシかいた。
四号舎は諜報部の宿舎で機密書類も多く、同じ帝国兵でもエントランスしか立ち入り禁止だ。
受付の係り員が、胡散臭そうに二人を眺めている。
タバサが意趣返ししてやったとばかりに、ニヤリと笑った。小声でヒソヒソと囁かれる。
「あれは言いつけなかったし、受付には、前に助けてもらったお礼を言いに来たって、誤魔化したわ。これで貸し借りなしよ。……じゃあね」
くるりと踵をかえし、さっさと立ち去ろうとした彼女の手を、夢中で掴んでいた。
「っ……タバサ!!」
心臓がドクドクと煩い。こんなのは何年ぶりだろう。
最近では、どれほど危険に晒されても、いつも乾いて大した感情も浮かばなかったのに。
「何よ?」
「……いや、なんでもありません」
激しい渇望に焦がされながら、やっとの思いで手を離した。
諜報部はその仕事上、むやみに私情で他の獣人兵と関わるのを厳禁されている。
この場で彼女を引き止めるのはまずい。
タバサはそれを知っているのだ……やられた。
振り返りもせず立ち去る金色の狐尾を眺め、心の中で牙を剥きだし舌なめずりする。
昨夜舐めた血の味を、まだはっきりと覚えている。
乾いた心に水分を沁み込まされた気分だ。
狼と狐。交わろうと子は成せず、つがいに選ぶ事もない種だ。
――それでも、彼女を『喰らいたくて』たまらない。
ありったけの手管を尽くして、考え付くかぎりの言葉を囁いて、身体も心も喰らい尽くせたら、どんなに満たされるだろう。
麻痺していた飢えを自覚し、それを満たす獲物をみつけてしまった餓狼はさっそく、あの極上の狐を狩る手段を、熱心に考え出した。
終り