紅蓮のビースト-6
まだルビーの父カイルが生きていた頃、グレンは今のような冷酷な実力主義者でなかった。
皆と協力し喜んで獲物を分け、婆さまを慕いルビーを可愛がってくれた。
せっかく同じ黒豹なのだから、大きくなったら結婚すればいいと、父は冗談まじりによく言っていた。
幼いルビーが、結婚の意味をグレンに聞くと、お互い特別な相手になることだと教えてもらった。
もしグレンが黒豹じゃなくても大好きだと言ったら、グレンも同じだと言ってくれて、とても嬉しかった。
だがある日、人間の耕地で衰弱死しそうな獣人の奴隷を助けに行くと、父と人間の集落に行ったグレンは、半死半生で一人帰って来た。
衰弱死寸前の奴隷獣人が目立つように放っておかれたのは、旅団の獣人をおびきよせる罠だった。
そして怪我が癒え、次の長に選ばれたグレンからは、何かが変わっていた。
酷く冷酷な目つきになり、もうルビーを抱き上げようともしなかった。
「グレン……私……」
グレンが変わってしまったのが、悲しくてたまらなかった。
どうしてか理解できなくて、昔の優しかったグレンに戻ってくれと、何度も頼んだ。
殴られても犯されても、ルビーが変わらないでいれば、グレンもいつか昔に戻ってくれると、信じていた。
人間への復讐に飢えたケモノでなく、穏やかで誇り高い獣人に戻ってくれると……。
――でも、ようやくわかった。
グレンが本当に憎んでいるのは、人間に勝てない獣人の弱さだ。
だからこそ、守られる弱者より、弱者を守ろうとし困窮した婆さまやルビーに苛立った。
そして切り捨てる事を躊躇う獣人たちに、自分が率先してルビー達を捨てて見せ、皆を変えようとした。
グレンは婆さまだって、本当に慕っていたのだ。
婆さまに魔晶石を渡す時、一瞬ためらったように見えたのは、きっと気のせいじゃない。
頭の中を、いろんなモノがグルグル回る。
辺境で野ざらしになった獣人の躯、ルビーが虐げられるのを横目で見ていた仲間、婆さまの亡骸、山賊の獣人をためらいなく撃ち殺したメルヴィン……。
そうだ。ここでは綺麗なばかりでは生きていけない。いつだって誰かが生贄に捧げられる。
敗者の命など砂粒より軽く、生き残った勝者が全てを掴むのだ。
(メルヴィンさまは、どうして獣人の私を助けようと思ったのかなぁ……?)
『お前の為じゃない』が、本当に照れ隠しでもないのは、なんとなく感じた。
けれど最初にルビーが思っていたような、余裕に満ちた人間がお遊びでする『慈善』でもなかったような気がする。
(婆さま……どうしたらいいの……?)
悩んだ時には婆さまに相談すれば、いつだって納得いく答えをくれた。
でももう、婆さまはいない。
足元の板床は、絶え間なくゆらゆら揺れている。もうすぐ、船は港を離れてしまうだろう。
ルビーは俯き、身体を半獣へと変える。
「私だって、悔しかった……今も、悔しいに決まってる」
黒い毛皮に覆われ鉤爪の生えた自分の手を眺めた。
獣であって獣でなく、人であって人でない。私は獣人だ。
「……獣人が家畜だなんて、私は絶対に認めない」
心臓がドクドク脈うち、勇気を出せと叫ぶ。覚悟を決め、大きく息を吸った。
婆さまに言われたからじゃない、ルビーが自分で決めた答えを告げる。
「だから、人間だって家畜に扱えない。それをすれば、私は自分も家畜と認めてしまう」
「ルビー……!」
犬歯を剥いて唸るグレンから、ゆらめく怒気が見えるようだ。
「弱者も切り捨てられない。弱者を助ける仲間がいてくれたから、孤児になった私は生きているんだもの!」
とっさに身をかがめ、唸りをあげたグレンの拳を避けた。彼が人容であっても、半獣でなければ、到底避けられなかっただろう。
「それが綺麗事というんだ!」
恐怖に足を救われそうになりながら、ルビーは四つ足で力いっぱい床をける。
「必ず助けるから!」
少女たちに叫び、半開きの扉から飛び出した。
狭く暗い階段を、ルビーは全力で駆け上がる。左右の壁から、腹に響く大きな低音が聞こえはじめる。
ウォーレンの説明によれば、昔の船は風と人力で動かしていたらしい。
だが、緑の大陸まで長い航海を頻繁にするようになり、造船技術が飛躍的に進歩した。
今でも帆で風を受けるが、人力の代わりに魔晶石で歯車を動力にしているそうだ。