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今日もどこかで蝶は羽ばたく
【ファンタジー 官能小説】

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紅蓮のビースト-2

そのまま肩を掴んで引きずられそうになったが、ルビーは両足を踏ん張って留まる。
 妙な胸騒ぎに心臓がドクドク警鐘を鳴らし、悪寒が足を地面に縫い付ける。

「は、話なら、ここでして」

 グレンは軽く肩をすくめる。

「やれやれ、嫌われたもんだ。仕方ねぇな」

 そして逞しい黒豹獣人は、腕を軽く動かした。

「あぐっ!?」

 鳩尾を強烈に殴られ、衝撃と痛み息がつまる。
 身体が浮き上がるほど拳がめり込み、目の前が真っ白くなった。地面に倒れこみ、胃液を吐き出す。
 突然の非道な暴力に、素知らぬ顔をしていた周囲も振り向いた。
 だが、グレンが凄みのある眼で睨みつけると、関わりたくないとばかりに逃げていってしまう。

「ぐ、っ……う……」

 半ば白目を剥き痙攣するルビーを、グレンは担ぎ上げた。

「おい、いくぞ」

 傍らの路地で一部始終を眺めていた男に、グレンは声をかけた。
 無精ひげを生やした中年男は人間なのに、なぜか獣人に命令されても怒る様子もない。
 虚ろな眼の周りには病的な隈ができ、のろのろとグレンの後をついていく。
 その様子はまるで、獣人に仕える人間の奴隷のようだった。
 苦痛に声も出せないまま、ルビーは運び去られていく。

 みすぼらしい通りを抜け、グレンはなおも歩き続ける。生臭い匂いと塩気を含んだ風は段々と強くなっていき、砂が流れるような音が絶え間なく聞えてきた。 
 迷路のように積み上げられている木箱や樽の間を通りぬけ、ふいに開けた場所に出た。

 月光の下に、奇妙な建物のような物が、ゆらゆら揺れている。
 そのシルエットで、ようやくルビーは居場所がわかった。
 揺れているのは幾つもの大きな帆船で、ここは港だ。墨を流したように黒い地平と思ったのは、海だった。

 帝都の港や海を早く見たかったのだが、メルヴィンはなぜか港には連れて行ってくれなかった。
 代わりにウォーレンが船の本や模型を見せてくれ、色々と詳しく教えてくれたが……。
 想像していたものより、実際の船は遥かに大きかった。

 ルビーを担いだまま、グレンはその一隻へと向かう。
 渡し板を通り、船の中に踏み入ると、肩に担がれているルビーにも、船がかすかに揺れているのが伝わった。

「お前も見張りをしていろ」

 ずっとただ黙ってついて来た人間の男は、命じられると、やはり虚ろに返事をし、おとなしくその場に立った。
 グレンは船内の扉を抜け、狭い階段を降りていく。

 船室につくと、グレンはルビーを乱暴に肩から落とした。

 「ホラ、さっさと起きろ」

 後ろ髪を掴まれ、無理やり顔を上げさせられた。

「っぅ……あ……」

 苦痛に顔を歪め、ルビーは周囲を見渡す。

「仲間は辺境にまだいるが、新入りばかりだ。お前が知った顔は、ここに全員いる」

 テーブルや椅子が詰め込まれた食堂のような部屋に、十数人の獣人が立っていた。
 男女も種族もバラバラだが、いずれも暁の爪で見知った顔であり、グレンの腹心ばかりだった。
 他の姿が見えない事に、嫌な予感が高まっていく。

「これだけ?他の皆は?」

「ここにいねぇ奴は、全員殺した」

 さも当然という口ぶりで、グレンが告げる。

「――殺し……た……?」

 耳を疑いながら、ゆっくりとルビーは首をねじまげ、グレンを見上げる。

「あの襲撃は、俺がやらせたんだよ。古い掃き溜めを叩き壊し、俺のやり方を徹底的に知らしめるためにな」

 突き飛ばすように身体を離され、動揺しながらよろけた足を踏みしめる。

「で、でも!!襲撃したのは人間だったじゃない!!」

「ああ、辺境で麻薬を作ってた組織の奴等だ。だが麻薬で洗脳され、今では俺のいいなりだ。獣人が人間を支配できないなんぞ、誰が決めたんだ?」

 可笑しくてたまらないというように、グレンが嘲り笑う。

「麻薬の洗脳効果は便利だ。幹部を一人ずつ攫って中毒にすれば、組織を乗っ取るのは簡単だった。元はてめぇが作った薬だ。本望だろうよ」

「それじゃ……本当に……?」

 ルビーはもう一度、極小数になった旅団の残党へ視線を走らせる。それでもグレンに従っていた旅団員は、もっといたはずだ。
 ルビーの表情を読んだのか、残虐な黒豹は丁寧に説明する。

「知ってたか?表向きは俺に従いながら、ルシーダ婆やお前に、まだ遠慮してやがる奴もいたんだよ」

「え……?」

 思わず目をしばたかせた。
 旅団員の大部分は、完全な恐怖政治を敷くグレンを恐れ従い、ルビーたちに嫌がらせこそしないものの、手助けしようともしなかった。

「俺を影で非難しながら、婆やルビーを助けるつもりもない。中途半端な奴等だった」

 ルビーは息を飲み、余所余所しくなってしまった旅団員たちの顔を思い出す。
 困窮しているルビーたちから目を背けていた彼らに、憤りを覚える事もあった。
 でも、彼らも自分が生きるだけで精一杯だった。

 それを痛いほど解っていたから、婆さまもルビーも、助けを請おうとはしなかったのだ。



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