英雄の子孫たち-3
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トレイシーは、今はもう滅んだ国の王族だった。といっても、王が女官に産ませた多数いる庶子の一人で、母亡き後は海運商人の祖父に引き取られたそうだ。
陽気で気風のいい典型的な海の男であり、『俺には王冠より船長帽子が似合う』が、彼の口癖だった。
ドロドロした王位継承に顔を突っ込む気はないと、暗に言っていたのだろう。実際、宮廷にも数えるほどしか行かなかったそうだ。
ところが王位継承を巡り国内が不安定になっていた所へ、隣国ハイリンクが攻めてきた。
トレイシーは一将軍として海軍を率いり、ハイリンクの強力な軍艦を全て退けたが、海戦で惨敗しても、ハイリンクは陸から再度攻め入り、間もなく祖国は滅ぼされた。
滅ぼした国の王族は処刑し、民は奴隷として扱うのが、当時の習わしだ。王族は次々処刑され、トレイシーも同じ憂き目に会うはずだった。
しかし海戦の報告を聞いていたハイリンク王は、圧倒的な不利を覆したトレイシーを、国の武将として扱おうと申し出た。
信じられない幸運のはずだったが、トレイシーは他の願いを口にした。
『私に船を一隻貸してください。宝島を見つけ、この国に豊かな資源をもたらして見せます。それが出来たら、祖国の民全員を、奴隷の境遇からお救いください』
当時の人々は、他の大陸がが存在するなど考えもしなかったが、トレイシーは、前々からある海流に乗って、さまざまな漂流物が流れてくるのを不思議に思っていた。
それは見た事も無い木の実だったり、信じられぬほど太い流木だったり、美しい鳥の羽だったりした。
常に霧が立ち込める海域の向こう、恐ろしい怪物が済んでいると、昔から船乗りたちが脅える場所には、緑豊かな島があるに違いないと考えていたのだ。
途方も無い夢物語に、ハイリンクの大臣たちは嘲笑した。
だが、王は一年間の期限をつけることで、その条件をのんだ。冒険物語に目がなかった王は、こういった『お遊び』を楽しむ癖があったのだ。
誰もがトレイシーは失敗するか、そのまま逃げると思っていた。
だが彼は苦難の航海の末、『緑の大陸』という途方もない財宝を見つけた。
豊かな自然と穏やかな気候、そして獣と人の合わさったような不思議な獣人たちに、疲弊しきっていた船員たちは目を疑った。
獣人たちはトレイシーたちに食事をくれ、病人を薬草で治療し、ボロボロの船を修理するのを手伝ってくれた。
最初は身振りや手まねで意志の疎通をしていたが、トレイシーは彼らの言語もじきに覚え、彼らとすっかり仲良くなった。
必要以上に欲しがりもせず、相手を騙したり疑ったりもしない。
緑の大陸で獣人の暮らしを知ったトレイシーは、まさに奇跡のような楽園だと記している。
帰還したトレイシーは、ハイリンク王に全てを報告した。
そして獣人たちの豊かな資源と引き換えに、鉄鉱石とその加工技術を取引きするよう進言した。
緑の大陸に鉄鋼石は少なく、獣人たちはトレイシーたちが持っていた鉄の道具を、丈夫な農具として大変喜んだからだ。
彼らは人間と多少違っていても、同等の知能と、人より遥かに優れた身体能力を持ち、更には心優しい信頼できる相手だと、王に報告した。
しかしトレイシーの思惑に反し、王は約束が違うと怒った。
『お前は資源を見つけてくると言ったのだ。単なる取引きで、奴隷を自由にすれば、国の損失ではないか』
ハイリンク王を始め将軍たちは、緑の大陸を侵略する計画をたて始めた。そしてトレイシーに案内役を勤め、さらには獣人の制圧を手伝えと命じた。
断れば祖国民は全員殺す。だが、獣人という身体能力に優れた奴隷を手に入れられるなら、もう人間の奴隷は必要ない。
祖国民だけでなく、全ての人間奴隷を解放してやろうと、ハイリンク王は言った。
捕われている者の中には、トレイシーの友人も恋人もいた。彼らを救いたい。
しかし命の恩人である獣人を裏切るのも耐え難い。
苦悩するトレイシーに業を煮やし、王は彼の前で祖国民を壮絶な拷問にかけはじめた。
目を背ける事も耳を塞ぐ事も許されず、何人目かの命が絶えた時、トレイシーはようやく苦渋の決断をした。