多様な軍人-3
吹き抜けの高い天井を眺めながら、サイラスは隣のルビーにやっと聞えるくらい小さな声で、不意に語りだした。
「辺鄙な村でしたが、軍の駐屯地があり、兵士相手の商売でそこそこ幸せに暮らしていけました。帝国が攻めてくるという噂もありましたが、こんなつまらない村を相手にするはずもない……そんな呑気な雰囲気でしてね。ですから突然攻め込まれた時、帝国の小隊にあっさり負け、酷い騒ぎになりましたよ」
帝国の小隊で、規律のタガが外れてしまったのだと、彼は苦い声で言った。
勝者が何をしようと、誰も咎める者はいない。戦地では当たり前の構図だ。
しかし実体がどうであれ、帝国が他国へ侵略する大義名分はいつも、『野蛮な地に文明と正義を敷く目的』で、それを信じている民は大勢いた。
だから兵たちの獣性を抑制し、非戦闘民や降伏者を庇護させるために厳しい軍規があり、それを守らせるのが司令官の最も重要な任務のはずだった。
だが帝国小隊の隊長は、戦闘で高揚した気分のまま、部下達と共に、降伏した兵も関係ない村人も、楽しみのために殺しだした。
三日後、帝国軍の本隊が偵察に来て、ようやく狂乱へ終止符が打たれたが、生き残った村人は、死体の山の中に隠れていたサイラスだけだった。
見つかった時、口封じに殺されると思った。
小隊が犯した村人の惨殺は、まぎれもない醜聞で、サイラスは生き証人なのだから。
しかし本隊の将軍はサイラスを殺さず、自分の養子にした。
そして村人たちの死は、小隊の戦闘に巻きこまれた不幸な事件で、帝国はたった一人生き残った子を必死で救出したと、美談にされた。
サイラスが命を繋ぐための契約だった。
「……その時、思い知りました。皆が少しずつ我慢し譲り合い、相手を規則で守る。だからこそ、自分たちも規則に守られているのです」
虚空をみつめ、淡々とサイラスは語る。
「あの時、仲間から疎まれる役を引き受け、軍規を守れと言う兵がいたら……」
サイラスは言葉を切り、顔を背けてしまったが、眼鏡の奥で何かが光った気がした。
しかし顔をあげた堅物門番は、何もなかったように眼鏡を指で押し直す。
「もっとも、養父には感謝しております。私を救うため、最善を尽くしてくれました」
ベンチに置いた果物籠をとりあげ、サイラスは立ち上がる。
「あの、メルヴィンさまに、今のお話は……」
「こんな話をして私に遠慮させるのは、フェアでないでしょう。ガサツに振る舞っても、所詮は生粋のおぼっちゃん。彼は他人に甘すぎるんですよ」
「メルヴィンさまのこと、よくご存知なんですね……」
「同じ寮で三年も暮らせば、少しは相手を理解できます」
口元に小さな笑みを浮かべ、サイラスはルビーのタグを眺める。
「この国の規則は、人間が一方的に決めたものです。貴女にしてみれば、不公平で不愉快極まりないでしょうね」
「それは……」
「メルヴィンの規則違反のおかげで、私は不愉快な仕事を一つやらずに済みました」
「え?」
「規則は守るべきですが、好きになれるかは別問題です」
冷たい眼鏡レンズの向こうから、したたかな視線がルビーを眺めている。
「私は結構ズルいんですよ。こんな話をしたのも、私に×を消させた貴女に、言い訳をしたかったのです。メルヴィンにはどうぞご内密に。信用いたしております」
そのまま立ち去りかけたサイラスに、急いで声をかけた。
「あ、あの、サイラスさま……っ」
「はい?」
「手械の条例は、すごく嫌です。あの痛そうな手械は、絶対に付けたくありません。それにタグだって、辺境にいた時は一生つけるものかと思ってました」
耳につけた美しいアクセサリーを、指先で触る。
「でも……これを見た時、私はとても素敵だと思ったんです。もし、門にあったのが、自分から付けたくなるような手械だったら、私は喜んでつけていました」
「手械はブレスレットではないのですよ」
サイラスは少々呆れたような顔をしたが、不意にニヤリと笑った。
「まぁ、あの手械も古くなってきた事ですし、次の予算で新しい物を申請してもかまいませんね」
その笑みには少しだけ、山間に住む悪戯坊主の面影が見えた気がした。
「では、養父の見舞いに行きますので。失礼します」
軽く会釈した後、サイラスは眼鏡の奥で水色の瞳を細めた。
「素敵なタグですね。我が家のメイドも『ファルファラ』のファンですよ」