多様な軍人-1
わずかな引っ掛かりを残しても、帝都での日々は信じられないほど幸せだ。
飛ぶように時間が過ぎ、半年の契約期間も、残すは一ヶ月と少しになった。
帝都は真冬を迎えていたが、ここでは雪も降らず、上着を一枚羽織るだけで十分だ。
「ほら、早く行くぞ」
馬車から降り、せかす主人の後ろを、ルビーは耳と尾をしょんぼりうな垂れさせ着いて行く。
今日は非番なので、メルヴィンは軍服の代わりに薄いコートを羽織った私服姿だった。
ルビーの服も外出用だ。淡いピンクの生地に、白いフリルとリボンがいっぱいの素敵なワンピースは、フランシスカの店で買ってもらった冬服だ。
ふんわり広がったスカートは膝丈で、白いニーソックスがよく映える長さ。そろいのケープを肩にかけ、付属された淡いピンク色のリボンは尻尾に結ぶ。
メルヴィンは休日になると、ルビーを連れてよく出かける。
特に用事というより、ルビーを人間の街に慣れさせるのが目的らしい。
行き先は公園だったり、フランシスカの店だったりと、どこも楽しい。
だが、時おり連れて行かれるここだけは、どうしても苦手だ。
メルヴィンは絶対に必要だと『命令』するし、ルビーの為だとわかっているけど……。
「痛いのは最初だけだろ」
「は、はい……」
「何でもするって言ったんだから、我慢しろ」
「はい……」
頭でわかっていても、硬い異物を体内に挿し込まれる瞬間を思い出すと、身がすくむ。
でも、アレをしている間、メルヴィンはルビーをしっかり抱き締めてくれるし、痛いのはちょっとだけだ。
しかもその後は、ご褒美にとびきり気持ちよくしてもらえるのだから、我慢我慢……。
自分を励まし、ルビーは気の進まない足を、そびえたつ大きな建物へ無理やり進ませた。
「――う、ぅぅん」
メルヴィンの膝上で、しっかり抱き締められながら、ルビーは目を閉じ歯を喰いしばる。
ツン、と腕から注射針が抜けて行った。
「はーい、終わりました」
看護婦さんの声に、涙のいっぱい溜まった目を開き、ガーゼで針の痕を押さえる。
それほどの痛みでもないのに、やっぱりどうしても注射だけは苦手だ。
「よく頑張ったな」
髪の中にメルヴィンが指を差し込み、耳の付け根をかいてくれる。
「ふぁぁぁ……」
あまりの気持ちよさに体中の力が抜け、うっとりとメルヴィンに寄りかかった。
「イグレシアス副長。毎度毎度、診察室でイチャつくのは止めてくれませんかね」
五回目の注射で、すっかり馴染みになってしまった若い軍医が、眉間に皺を寄せた。
ここは帝都で一番大きな病院で、患者も医者も軍の関係者が多い。
しかし一般病棟もあり、獣人特有の怪我や病気への治療も充実しているそうだ。
「妙な言いかたをするな。注射を我慢した褒美だ」
愛撫の手は止めないまま、メルヴィンが言い返す。
「はふぅぅ……きもちいい……」
弱い所はとっくに知り尽くされているから、ルビーはもう腰砕けだ。フニャフニャになって縋りつく。
「それがイチャついてるって言うんですよ。ったく。こっちは麻薬に手を出すアホの治療に忙しくて、デートも出来ないのに」
「そんな相手、いつのまに見つけたんだ?」
「探す暇もないから、出来ないんです」
猛スピードでペンを走らせた軍医が、書類を突き出した。
「ともかくこれで、予防接種は最後です。とっとと代金払って、他の場所でしけこんでください」
「わかったよ」
耳から手が離れ、名残惜しかったがルビーは膝から降りた。
軍医と看護婦に、ペコリとお辞儀する。
「ありがとうございました」
「過保護なご主人に稼がせてもらったよ。これだけ厳重に接種すれば、大陸間の航海だって大丈夫だ」
「かかってからじゃ遅いから予防接種があるんだと、いつかの会議でまくしたてた軍医は、目の前にいる気がするぞ」
代金をテーブルに置き、メルヴィンはさっさと医務室を出る。
苦笑する軍医にもう一度頭を下げ、ルビーも後を追いかけた。
ビースト・エデンは、人間にとっては反乱分子の篭城地。
だからもう、そこへ行くとむやみに言うなと、念を押されていた。
ボロボロだった頃のルビーが言うなら、どうせ叶わぬ夢と一笑されて終りだ。誰も本気にはしない。
だが、イグレシアス家はそれを現実に出来るだけの力を持つのだ。
本当になるからこそ、秘密にしなければ。