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今日もどこかで蝶は羽ばたく
【ファンタジー 官能小説】

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止まれぬ巨人-1

 夏の暑さは日ごとに和らぎ、心地よい風が帝都を吹き抜けていく。
 ルビーがこの地で暮らし始め、二ヶ月が経過していた。

「できました!」

 こんがり焼きあがったタルト菓子を、ルビーは慎重に窯から取り出す。

「まぁ、本当に上達したわね」

 見事な焼き色を見て、タバサが褒めてくれた。窯の奥に入れた魔晶石を、必要な温度に一定時間保つのは、案外難しい。
 魔晶石は便利だが貴重品だし、旅団では強い者が独占していたから、ルビーはあまり上手く使えなかった。
 しかしタバサに何度も教えてもらい、最近ようやくコツを掴めるようになってきたのだ。
 キツネ獣人は魔晶石の扱いに長けている。同じだけの魔法を使っても、人間や他の獣人よりずっと少ない力で済むし、信じられないほど器用なこともできる。
 今も屋敷のあちこちで、小さな魔晶石の欠片をくくりつけた掃除用具たちが、せっせと廊下や窓を綺麗にしている。
 タバサがこの広い屋敷で、家事全般を一人でこなせていたのは、魔晶石を上手く使っていたからだ。

「昼食の用意はもういいから、今度はウォーレンの方を手伝ってくれる?」

 タルト菓子を棚に載せて冷ましながら、タバサが頼む。
 台所の窓から庭を見れば、半獣になったウォーレンが、強い腕で庭木を整えていた。

「はい!」

 急いで部屋に戻り、エプロンを台所用から庭仕事用に変え、靴とストッキングだけ脱ぐと、ルビーは半獣になり、庭に飛び出した。
 フランシスカ特製の服は、各所に工夫が凝らしており、ひらひらした見た目でも動きやすい。

「ルビー、投げますよ!」

 ウォーレンが毛並みと発達した筋肉で大きくなった半獣の腕に、短く切った太い枝を沢山抱え、声をかけた。
 ルビーも黒い毛皮に覆われた手足で、次々と放りよこされる枝をキャッチする。

 毎日ちゃんと眠り、お腹いっぱい食べれるせいか、信じられないほど身体が軽い。
 止まってしまった身長はそのままでも、手足には必要な筋肉がついてきた。
 最後の枝を取り、きちんと積み上げてから、四足で思い切り躍動する。壁や木を蹴り、屋敷の屋根に軽々と飛び上がった。
 今なら荒野で狩りをしても、大型の獲物だって仕留められるだろう。これが本来の豹族だと、体中が喜び叫んでいるようだ。

 帝国軍人の小間使いを勤めるなど、最初は不安でたまらなかった。
 それでもメルヴィンは、ぶっきらぼうな態度や口調とは裏腹に意外なほど優しく、何かと気にかけてくれる。
 ウォーレンとタバサも、魔晶石の使い方を始め、帝都で暮らすために色々な事を教えてくれた。
 二人は、ルビーが仕事を覚え手伝ってくれるのが助かると言う。
 だが、本当はルビーのためだと気付いていた。

 あと四ヵ月後には、たった一人で遠い大陸へ旅立つ。
 そこには一人の知り合いもおらず、親切な人と出会える確証もない。
 婆さまが昔、簡単な礼儀作法を教えてくれたように、彼らはルビーが生き延びる確立を少しでも上げようとしてくれているのだ。

(メルヴィンさま、美味しいって言ってくれるかな?)

 さっきのタルト菓子は昼食のデザート用だ。
 砂色の髪をした主人を思うと、最近はなぜか顔が勝手にニヤける。ウォーレン夫妻に子ども扱いされるのを嫌うけれど、実は甘いお菓子も結構好きなのが判明した。
 素直に感情を出すのが下手で、嬉しい時もしかめっ面になってしまったり、誰かに優しくする時も、必死で何か理由をこじつけ、親切じゃないフリをする。
 そんなメルヴィンを、どんどん大好きになっていく。

 ウォーレンから聞いた所、貴族の家から義務として軍に入らされた者は、軍籍を置いて帝都で暮らすだけで、実際の職務はやらない者も多いそうだ。
 しかしメルヴィンは非番の日以外は、宮殿敷地内にある軍の詰め所へきちんと行く。
 遊撃隊は不測の事態に対応する、いわば何でも屋で、けっこう忙しいらしい。帝都内外に限らず、事件が起きた時は即座に駆けつける。
 それでも今日は、何もなければ午前中で帰れると言っていた。

 空は晴れ渡り、高い屋根の上から、立派な宮殿が見えた。
 ここに住む前、宮殿は皇帝の住むお城だけがあり、皇帝は一言で帝国を好きに動かせる存在だと思っていた。
 だが広大な敷地内には、城だけでなくさまざまな施設があり、政治も皇帝一人の意思で動かせないそうだ。
 皇帝は世襲制で、未だにその血統は尊ばれている。
 だが軍事国家の帝国では、軍の発言力が非常に強く、その軍の中でも派閥や所属科によって意見が分かれる。そこに各領の貴族まで加われば、さらにややこしい。
 帝国の実情は、ルビーが思っていたより遥かに複雑で混沌としていた。
 ウォーレスが言うに、

『無数の人で作り上げられ、ひたすら歩き続ける一体の巨人』

 それが帝国だそうだ。
 一人一人がその身体の一部でありながら、自らだけの意思では、止ることも曲がることもできない。躯となって引き摺られてしまう者もいる。惰性で身体を動かし、自分がどこに歩いているか知らない者も多い。
 その話を聞いた時、なんとなくメルヴィンの顔が頭に浮かんだ。
 一部隊の副長であり、貴族でもある彼は、歩み続ける巨人のどこにいて、どんな思いで身体の一部を果たしているのだろう?

 ふいに風が吹き、耳のタグで小さな赤い石が揺れた。もう穴はすっかり固まり、消毒も必要ない。

「……早く帰ってくるといいなぁ」

 ハートのタグに指先を触れ、ポツリと呟いた。



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