溺愛老夫婦-2
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メルヴィンが湯浴みを済ませ自室に戻ると、ウォーレンが茶の用意をしていた。
未だにメルヴィンを小さな子どもと思っている彼は、夜にも酒でなく茶を出し、ご褒美には甘いお菓子をくれようとする。
「ルビーは?」
「相当に疲弊しているようでしたから、本日はもう部屋で休ませました」
有能家政婦のタバサは、隊長から話を聞いてすぐ、新入りの部屋もちゃんと整えておいたらしい。
湯気を立てて注がれる紅茶を眺めながら、ウォーレンに打ち明けた。
「ルビーは、ビースト・エデンに行きたいそうだ。婆さんの遺言らしい」
灰色の狼耳がピクリと動いた。
「はぁ、しかし失礼ながら……」
「あの様子じゃ、どのみちすぐ行き倒れてたろうな。ったく、よくここまで来れたもんだ」
ルビーから出身地を聞いて、驚いた。
あの姿から、ロクな場所ではないとは思っていたが、帝国の中でも最悪の辺境地域。一応は帝国の領土で、言語も通じるが、意味が通じても願いを聞いてはもらえない場所だ。
いくつかの犯罪組織で独自の支配形態が形成され、国は見て見ぬフリをきめこんでいる。下手につつけば、逃げた犯罪者が他の地に害を成すからだ。
あそこはいわば、生贄の地。
人間同士への配慮すら無い場所だから、獣人への扱いはさらに酷いはずだ。
なるほど、あそこで暮らし続けるくらいなら、一か八かで無謀な旅に出ろと、ルビーの祖母が言いたくなった気持ちも解る。
「半年間、小間使いを勤めれば、ビースト・エデンに行くのを手伝うと、ルビーと契約した」
この半年間が、瀕死のやせ細った少女を過酷な旅に向かわせる準備期間だ。
「まずはちゃんと食わせ、基礎体力をつけさせる。それから予防接種も必要だし、人間社会の風習も教えたほうがいい。婆さんから聞いた情報だけじゃ、古すぎるだろ」
指折りし、手順を数えはじめた。
緑の大陸まで、三ヶ月もかかる航海だ。狭い船内で多数の人間が暮らすのだから、病気の発生が非常に多い。
かつては命取りになった病気も、緑の大陸で様々な薬草を発見し、ワクチンが出来てから助かるようになった。何種類かの予防接種も発明され、いまや航海の必需品だ。
「……ウォーレンは昔、ビースト・エデンに行きたかったんだったな?」
ふと、生まれた時から仕えてくれている老狼に尋ねてみた。
「はい。ですが、今はこの地で成すべき事を見つけました。もしチケットがあったとしても、破り捨てます」
生真面目な獣人は、きびきびとした動作で茶菓子をワゴンから降ろす。
「私とタバサの恩人である大旦那さまに報えるのは、メルヴィンさまたちをお守りすることです」
「俺はもう大人で、庇護されるほどか弱くもないぞ」
不貞腐れ顔で頬杖をつき、メルヴィンは紅茶を一口すすった。
ウォーレンが犬歯を目立つ口元を緩ませる。
「なんの。私たちから見れば、まだまだ可愛い坊ちゃまでいらっしゃる。特に本日の任務を聞いた家内は、また塞ぎこんで帰宅なさるのでないかと、心配しておりました」
「……ガキじゃない。大丈夫だ」
カップを戻し、赤くなった顔を見られないよう、下を向いて肘で顔を隠した。
まったく、獣人絡みの任務があるたび心配かけてたんじゃ、ガキ扱いされても仕方ない。
ウォーレンが怪訝な声をあげる。
「ホットミルクのほうが宜しかったでしょうか?では、ハチミツもお入れし……」
「俺はもう二十三だぞ!?酒飲むから、付き合え!!」