無気力ジェノサイダー-2
「……もっと食べれるか?」
不意に、抑揚のない声で尋ねられた。
ベッドの脇には小さなテーブルがあり、うろんな視線の先に、ゆげのたつスープと食べかけのパンや乾し肉がある。
「貴方だったの!?」
あの美味しい味は、現実だったらしい。
「あんまり腹を鳴らしてたからな。寝ながらよくあんなに喰えるもんだ」
「っ!!」
反射的に、喉へ指を突っ込んで吐き出そうとした。
「おい!?何やって……」
鋼のように強い大きな手に、手首を掴まれ引きはがされる。
「うえっ!毒っ、毒入って……」
人間が野生の獣人に、理由もなく食事を与えるなんて有り得ない。
身体の自由を奪う薬か、あの山賊たちみたいな麻薬が入ってるに決まっている。
苛立たしげに舌打ちし、メルヴィンは片手でルビーの両手首を戒めながら、もう片手で食べかけのパンを取り上げる。
「ほら、これで信用するか?」
パンを一口食べ、マグをとりあげスープを一口飲んだ。水の入った瓶にもためらいなく口をつけ、乾し肉の端を喰いちぎる。
「軍の携帯食だからな。上等なメシとはいかないが、毒なんざ入っちゃいない」
「……ぁ」
ぐぅぅ〜と、また胃袋が鳴った。
顔が赤くなるのを感じたが、無気力な帝国兵は、さほど気にするようでもなく、ルビーの手を離す。
「腹が減ってるなら、大人しく座ってメシを喰え」
淡々と命じられ、ルビーは大人しくベッドへ座りなおした。正しくは腰の力が抜けてへたり込んだ。
「ほら」
パンを差し出されたが、ゆるゆる首を振る。
お腹はまだまだ空いていて、食べ物に毒が入ってないのも証明されたのに、食べる気になれない。
喉に詰まっている不安を、恐る恐る言葉にして尋ねた。
「私をどうするの?」
「さぁな。隊長が決める」
答えは素っ気無かった。
「俺の役目は、お前から村の被害状況を聞くだけだ」
「私が来たとき、村はもうメチャクチャだったわ。水を貰いたかっただけなのに……」
「そうか」
澱んだ水のような視線と、抑揚のない声。まるで死体か機械仕掛けの人形とでも話しているようだ。
「お願い。何でもするから逃がして」
無気力な視線が、迷惑そうにルビーを眺めおろす。たじろぎそうになったが、必死で頼み続けた。
「おねがい!山賊だって、私にたいした値打ちはないって言ってた!それなら逃がしたっていいでしょ?私、十八になってもこんなに小さいし……」
「十八?」
驚いたように、メルヴィンの眉がわずかに潜まる。
「やけに痩せていると思ったが、完全に栄養失調だな」
「だから、私なんか売っても……」
「自分の旅団に帰りたいのか?」
不意に尋ねられ、ルビーの瞳が大きくなる。
「う、ううん……もう旅団は無いし……」
たいていの人間は、旅団を害獣の集団と敵視する。
ルビーが生まれ育った旅団は、移動中に人間の集団から奇襲を受け、ルビーは盲目の婆さまと逃げる中、皆とはぐれてしまった。
運良く洞穴を見つけ、人間には捕まらずに済んだが、婆さまは深い傷を負っていた。
自分はもう助からないと言われ、一緒に死にたいと泣いたけれど、婆さまは許さなかった。
両親を早くに失くしたルビーを、本当の孫みたいに可愛がってくれた婆さまは、逞しい狼の獣人で、優しいがとても厳しい。
恩を受けたと思っているのなら、幸せになって返してくれと叱り、その方法を教えてくれた。
婆さまの遺言となった幸せへの行き先は、果てしなく遠い。最初に目指すのは帝都の港。そこから船に乗り……。
「じゃぁ、どこに行くつもりだ?」
再び尋ねられ、一瞬ためらったが、大きく深呼吸し、遠い目的地を答える。
「婆さまの遺言なの。幸せになるために、緑の大陸……ビースト・エデンに行きなさいって」
ビースト・エデンとは、緑の大陸にある獣人の国だ。深い森に守られ、人間はそこにたどり着けない。獣人が自由に暮らせる最後の地だ。
「……本気か?」
呆れたように、メルヴィンが尋ねる。
「どうやって行くつもりだ?大陸の間には、海ってもんがあるんだぞ」
「見た事はないけど、海くらい知ってるわ」
「んじゃ、そこらの池と海はわけが違うってのも知ってるな?どうやって海をわたる。船に乗る算段でもあるのか?」
「な、なんとかなると……」
船賃など持ってない。持っていたところで獣人を客として乗せてくれるはずもないだろう。
「なると思うか」
鼻で笑われた。
「密航なんぞ、すぐバレる。その場で海に放り出されるか、最下層の売春婦より酷い目に合わされるのがオチだ。獣人なら余計に容赦はされないだろうな」
あいかわらず死んだ魚の無気力な目で、メルヴィンはルビーの道先を否定する。
「仮に、運良く緑の大陸にたどり着けたとしてだ。ビースト・エデンを覆う森は、一番近い港からでも一ヶ月はかかるし、全ての道に検問が多数あるぞ。あそこは特別警戒区域だからな」
「それは……」
続く言葉が見つからず、ルビーは黙り込む。
厳しい旅とは思っていたが、改めてそう突きつけられると、とても不可能に思える。