一章 関係-6
「銀之助、どうしたというのだ?」
銀之助は私の言葉を聞いて、周囲をきょろきょろと見回すと、「むむ」と訝しげに首を捻った。
「おい、銀之助」
銀之助は私と距離を取る。
「銀之助、本当に今日は飯を食いに行くわけではないのだからな?」
銀之助に一応釘を刺しておき、私は羽田さんの家のチャイムを鳴らす。
「はいはい、先生かい?」
「えぇ、すみません。例の物をいただきに来させていただきました」
「おお、今持っていくよ」
「ありがとうございます」
銀之助は、とてとてと私に近づいてくる。
おそらく羽田さんの声を聞き、何か食べ物でもくれるのではないかと期待して、近付いてきたのだろう。
……あれだけ、食べ物ではないと言っているというのに。相変わらずの銀之助の食い意地に呆れつつ、私は羽田さんを待った。
「待たせたね、先生」
羽田さんは、屈託の無い笑みを私に向けた。
「これが?」
「じゃないかなぁ、と思うんだよ」
羽田さんが持ってきたのは、数輪の花であった。実を言うと、銀之助に出会った後に、気高く、美しく、そして麗しいような匂いのする花はないか、と聞いたことを羽田さんは覚えてくれていたらしい。
私は花を一輪頂き、確認する。
銀之助と出会ったときの匂いとは違った。しかし、羽田さんがこれではないかというのも、私にはよくわかる。
「残念ながら、これではないですね」
この花は、孤高である中にその孤高を望まぬ者のような匂いである。その中には残りの気高く美しくというものを宿していると言っても間違いではないが、私が欲していたものとは違った。
「そうかい……これだと思ったんだけどね」
羽田さんは残念そうな表情を浮かべた。
「申し訳ない。私から要望していたのにも関わらず」
「いいや、いいんだ。先生から頼まれたのなんて、久しぶりだからね」
そう言いながら、羽田さんは銀之助の頭を優しく慈しむように撫でた。
「ギンちゃん、ごめんよ。今日は嫁がいなくてね。今日は何もあげられるものがないんだ」
銀之助は、がっかりしたとでも言うように、頭を垂れた。
「すみませんね、何せ犬なもので」
「素直でいいさ。また今度何か持っていくからね?」
銀之助は、私には今までで一度も見せたことも無いような可愛らしい表情を作り、羽田さんに体をなすりつけた。
「それでは失礼します。今日は畑仕事を手伝えなくて、申し訳ない」
「いいんだよ、先生。のんびりしなよ」
「いつものんびりしているんですがね」
私は苦笑すると、羽田さんと別れの挨拶をして、とある場所へと向かった。
私が気に入っている場所だ。よく、畑仕事の気分でも執筆作業の気分でもないときは、ここに来ていた。
羽田さんの家から大体二十分くらいだろうか。
私は、この町(村)から少し外れたところにある、山の中の川に到着した。非常に透明度が高い、美しい川だ。
私はいつもの定位置に寝転んだ。平べったい岩で、成人男性一人が充分に横になれるほどの余裕がある。
ここは、私がこの町(村)に来て、すぐのときに発見したところだ。町と聞いていたので、それなりに買い物できるところがあるのかと思い、探索していたときだったはずだ。
「今日も良い天気だ」
太陽は輝き、その太陽の光を木々が丁度良い頃合に抑えてくれている。川が流れる音は耳に心地よく残り、眠気を誘った。
「銀之助、私は少し寝る。しばらく遊んでいろ」
銀之助は川べりで、子供よろしくきゃっきゃっと、一人遊びを楽しんでいて、私のその一言は奴には届いていなかった。