零章 出会い-3
出会い/2
私の体内時計は非常に正確で、十七時四十五分に目覚め多少の身支度をして、羽田さんのご自宅へと向かった。タイミングはぴったりで、羽田さんとその奥様に、「そろそろ先生が来ると思っていたよ」と笑われるほどだ。
羽田さんの奥様の料理をありがたくいただき、更に私は明日のおかずとしてお土産までいただいた。図々しいことこの上なかったので、さすがにお土産に関しては断ったが、「勿体無いから」という理由を付けられ、いただくことにした。
昼頃に通った道を、私は鼻歌交じりで辿る。
明日の朝には、羽田さんの奥様の料理を食べられるのだ。明日が楽しみである。
上機嫌で明かりの無い畦道を進んでいると、花のような匂いが鼻につく。それは嫌なものではなく、上品で、気高さすら漂う香りであった。
私はその香りが気に入り、花ならば一輪頂いていこうと思い、探し始めた。しかし、明かりがない道では、探すのは困難だった。数分辺りをきょろきょろと見渡したが、それらしいものもなく、明日の朝にでも暇つぶしがてら探してやろうと思い、帰路に着こうとしたときだ。私とは違う呼吸が聞こえた気がした。
まさか熊ではなかろうかと心配したのだが、聞こえた気がしたという曖昧な雰囲気ではなく、こう……殺気がするはずなので、熊ではないはず。ならば狐や狸かと思うが、そもそもそれらなら人間の気配を察すれば逃げていくはずだ(領土を奪おうとしているときを除いてだが)。
私は耳を澄ませ、その呼吸音を確かめてみた。
人間ほどではないが、落ち着いた呼吸をしている。さてどこからであろうかと、怖いもの見たさで探してみたら、その声の主は案外すぐ近くにいたのだ。というよりは、目の前の茂みの下のほうだった。
「ははは」
私は気付けば笑っていた。
それは犬だった。まだ子供なのだろうか。そこまで大きくは感じず、体を伏せてこちらを睨んでいた。
「これワン公。どうした、迷子か?」
犬は瞳をこちらに向ける。犬のくせに猫のような金色の瞳を有しており、「話しかけるな」とその瞳を細くした。
「これワン公。そう不機嫌な目で見るものではない。私とて、無理して犬に関わろうなどと思ってはおらぬ」
幼い頃から、よく犬には攻撃されていたのだ。できることなら、近づきたくはない生物である。
「おいワン公。お前、このあたりで花を見なかったか? 香りからして、気高く、美しく、そして麗しい花であるはずだ」
犬に聞いてもどうせ答えぬとは思ったが、犬はその言葉を聞き、目を丸く見開き、何度か瞬きをした。その様が人間のようで、可笑しかった。
「ははは、ワン公よ。花だ、花。この辺りのはずなのだ」
むしろ、この犬の近くからその香りがしている。
「知らぬか?」
もう一度問いただすが、犬はこちらを見ながら瞬きをするだけで、答えなかった。やはり、犬ごときに言葉を投げかけても、答えは返っては来ないか。
「知らぬのなら、仕方あるまい。では、また機会があったら会おうか」
私は犬に別れを告げ、羽田さんの奥様の手料理を持って、再度帰路を辿り始める。
犬に話しかけるなんて、私も相当暇人だ。
なぁに、どうせ誰も見ておらぬ。私のことなど、私のようなちっぽけな人間など、誰も興味の一片すら示さないのだから。