Pandemonium Ⅱ-2
「列島の刀ですか。田舎の品に拘る貴方方にしては、いいセンスをしてらっしゃいますね」
「この刀は、『いいもの』だ。だから使うのだ。一体おかしなことがあろうか？ 人間の役に立つ神と立たない神がいたら、役に立つ神を選ぶのが当然であろう？」
眼帯の男は口を歪め、瞳に光を宿してうそぶく。その光は、冒涜的で、濁りきった光だ。だがそれ故に、ベラの体はこの男に対する強い拒否反応と警戒信号を発していた。それまで戦ってきた魔族とは違うものを、この男に感じているからだった。単眼という戦闘においては致命的なハンデを背負っている筈のこの魔族の男は、絶対者のような余裕を見に纏っている。
圧倒だ。戦う前から、ベラはこの男に圧倒されていた。理屈では説明できぬ男の雰囲気、『瘴気』とでも言おうか、その雰囲気に飲まれていた。彼女は自然と鼓動が早くなり、たった数回の会話が、暗い地下で尋問を受けるに等しい時間のやり取りに思えるほどであった。背中には腰から悪寒が這いずり回り、ベラの首筋に到達すると熱を帯びて拡散する。気がつけば、ぴたりと密着するその黒装束には冷や汗が滲んでいる。
「……貴方方の『他愛もない』神であれば、そうなのでしょうね」
だがそれでも、ベラは精一杯の皮肉を込めて男に言葉を送る。だが男は皮肉に言葉を重ねて返すことはせず、右腕の刀をゆったりとした動作で掲げ、独特の構えを取る。ベラも、『鎖』の両端を握る腕に力を込め、男を真正面から見据えた。
「行くぞ」
男の言葉が、始まりの合図となった。
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一つの扉に辿り着いたエステルは、そっと室内に耳を傾けている。ほぼ完璧と言える仕事内容でこの部屋、アナスタシアの寝室まで辿り着いたエステルは、中に人の気配を感じ取りそれを探っていた。場合によっては窓から侵入するという選択肢も存在するが、ガラスを割って万一アナスタシアを傷つけると厄介だ。可能ならば扉からの侵入が望ましい。
目を瞑り扉の前に佇む猫っ毛の少女は、気の強そうな瞳を瞼の下で微かに揺らす。彼女にとってこれほど大きな聖務は初めてだった。ベラからの信頼を受け、任されたこの大役を、彼女は余裕を持ってやり遂げてやるつもりだった。それは、未熟者らしい未熟な見栄だったが、それに彼女は気が付かない。ただ功を焦る心のみが先行して彼女を急かしているのだ。
だがそれでも、彼女は執行官であったし、ベラの教育も素晴らしいものだった。アナスタシアの私室にたどり着くまでの彼女は、慎重と鮮やかさを持つ一端の隠密であった。だがここに来て、目標の部屋と中から聞こえる声を聞いた途端に、エステルの胸は高く鳴り響いてしまうのだ。
胸から頭を突き刺されたような鋭い緊張感と、頭がかっと熱くなる高揚感。その二つを同時に身に受けているのだ。室内からは、やや高い女の声と、それよりは低い声が聞こえる。低い声は恐らく男のものだろう。何を話しているのかは扉越しには聞こえなかったが、途切れることなく声が漏れていることから、会話が弾んでいるのだろう。エステルの脳裏には、うっとりした目をしたアナスタシアと、それに気障ったらしい言葉を送るフードをすっぽりとかぶった男の姿がありありと浮かんでくる。
（アナスタシアと、ラスプーチン……！）
ラスプーチンがアナスタシアに取り入った、という噂を考えれば、この遅くにラスプーチンがアナスタシアの私室にいることも不自然ではない。彼女にとって全く想像できないこと内容だが、もしかすると性行為に及んでいる可能性もある。だが、『処女』が高い価値を持つ王侯貴族の社会を考えると、未婚のアナスタシアがラスプーチンと深い関係に及んでいるとは思えなかった。だが、エステルにとって最も重要なことは、彼女に縁遠い色恋の話ではなかった。
（二人を同時に捉えることができれば……？）
聖務の内容は、ラスプーチンとアナスタシアの拘束である。列島での躍進に野望を燃やすクーパの軍勢がボルジア領を飲み込む前にこの両名を確保することができれば、法皇庁はこの十字軍において勝ったも同然の最強のカードを手にすることになる。その最重要人物二人、これをエステルが直に確保することができたなら……？ その想像は、一人前になろうと焦る少女にとって、余りにも魅力的な想像だった。
自然と腰の刀に手をかけるエステルの左腕には手汗がじっとりと滲み、薄い唇もかさかさに乾いている。エステルの中で、ベラと共同で室内の二人を確保すべきという案と、単独で二人を確保するべきという案がせめぎ合う。栗毛を揺らし、エステルは考える。だが結局、彼女は単独で二人を確保することを決めた。