Pandemonium Ⅰ-1
外出禁止令の出たミドルード城下、その壮麗な城を守る堀と門の前には、見張りの兵士が二人いる。槍を持ちながらも、二人の兵士の顔は、退屈さを隠そうともしないほど緩みきっていた。彼らはだらしなく体重を片方の足にかけ、東に日が登り、その無意味な任務が終わりを告げることを待ち望んでいる。
不審者が城に近づかないように見張ると言っても、そもそも外出禁止令の出たこの城下で、出歩く市民は一人もいない。例えその命令を無視して夜遊びに興じようと出歩く市民がいても、城下を見回る他の警備隊によって見つかってしまうだろう。だからこそ、彼ら二人は退屈していた。
槍を両手で弄びながら、やることといえばくだらない会話をするだけだ。女の話、賭博の話、そして何より今不穏な気配が漂うボルジアと法皇庁との関係、彼らの話題は尽きない。
「それにしても教会を焼き討ちとはなあ。困ったことしてくれたもんだよ」
「全くだ。例の傭兵団の大男が王立騎士団の団長になってから、変なことばっかだよ。十字軍か……ここも潮時かね？」
彼らは元々はただの傭兵だった。そして彼らに限らず、ボルジアの王立騎士団はその多くが傭兵で構成されていた。本当の身分としての騎士もいるが、それは指揮官クラスか、豪華な重騎兵として戦う戦場の華だ。彼らは、それ以外の重歩兵や城下の警護などを担当する下っ端であり、ボルジアに雇われた身分なのだ。戦争が起こった時に突発的に雇われて戦うよりも、こうして「騎士団」として雇われたほうが、待遇が良い。最も危険な配置で使い捨てにされる戦場とは違い、騎士団は長く働く傭兵を求めている。悪い待遇では傭兵はさっさと逃げ出すので、騎士団の待遇は戦場でのそれとは比べ物にならないほど良いのだ。
それ故に、彼らは雇い主に対する忠誠心などは無い。傭兵は政治の話などわからない粗忽者ばかりだが、そんな彼らでさえも、ボルジアの危機的状況を感じ取っていた。十字軍など発動され、聖敵と認定されたボルジアは、列島社会から白眼視されることはわかりきっている。それは他国との交易にも影響が及ぶだろうし、戦争が長引けば周辺の領邦が交易を切断し、物資不足に陥る可能性さえある。そうなれば、傭兵達への賃金支払いが滞ったり、賃金低下に繋がるかもしれないのだ。そうれなれば、傭兵にとってボルジア家は用なしだ。
「どうも、法皇と皇帝、あとクーパが相手みたいだが、どこにつく？」
「そうさなあ。金払いならクーパが良いって噂だぜ。あとはこの城の地図なんか作って持ってけば、いい金で買ってくれるだろうさ」
二人は、雇い主に見切りをつけて次の雇い主の話で盛り上がっていた。仮にもここはボルジア家の本拠地、ミドルード城の門前である。このような場所で鞍替え話に盛り上がる兵士がいても、それを捕らえて処刑しようとする人間さえいない。場内にも何人か警備兵が常駐しているはずだが、彼らの士気も低いのだろう。兵の士気が低い国の先は長くはない。泥船から逃げ出す鼠のように、傭兵たちはそれぞれの思惑で行動を始めていた。
二人が皇帝とクーパのどちらに自分をどのようにして売り込むのか、その相談をしていたとき、ふっと足音に気づき顔を上げた。話に夢中になっていて、仕事である警備を疎かにしていたのだ。いつの間にか彼ら二人の前に、一人の人間がふらりと近づいてきていたのだ。
奇妙な出で立ちであった。その者の胴と四肢は、肌に密着する黒い布で覆われ、胸甲と脛当て、そして篭手という軽装の装備を施している。そして顔は、目だけを覗かせてあとは布で覆われている。そのため、この者が男なのか女なのか、二人の兵士には判別が出来なかった。肌に密着する服を着用しているため、体の線が浮きだしており、しなやかな腕と足の持ち主であることはわかった。この者を特徴付けるのは、布から覗く吊り目がちな双眸と、同じく頭部から見える燃えるような赤髪であった。
その者が、なんの迷いすらなくまっすぐミドルード城の正門へと向かってきている。二人の兵士は、あまりの光景にぽかんとしていたが、すぐに自らの役目を思い出したのか、槍を構えて正体不明の赤髪を威嚇する。
「止まれ！ 外出禁止令が出ていることを知らんわけではないだろう！」
兵士の声が届いているのかいないのか、赤髪は歩みを止めない。彼らをまっすぐとその目で見つめて、淀むことのない足取りで近づいてくる。