続編/律子その後-8
やがて律子は絵美を軽く押し戻し、
「ごめんなさい……絵美さんに甘えちゃって……」
「何かあったの? 何でも言って頂戴。絵美は律子さんのためなら何でもするつもりよ」
<いけない……なんということを言ってしまったんだろう>なんとか繕わなくてはと焦って、丁寧な言葉に戻した。
「お姉さまとなにかありましたの? お作りしたお洋服が気に入らなかったとか……?」
「いいえ。とんでもない。とっても気に入ってくれましたわ。リッコは凄く思い切ったことをする子だったのねって、褒めて頂いたのよ。他のお洋服も試着したりして、こんどはこれでリッコと出かけましょうねって言ってくれた」
「それは……よろしかったですわ……」
「絵美さんのおかげよ。お姉ちゃんも、コーディネートを見て、絵美さんのセンスはすばらしいわね、リッコは今、あの絵美さんに教育されているのねって」
「教育だなんて……。翔子さんてお優しい方ね」
「ほんと素敵でしょ? 私、お姉ちゃんのために何ができるのかしらって、いつも考えるんだけど……リッコが傍にいてくれるだけでいいのよって……」
律子はそう言うとまた大粒の涙を見せるのだった。
おのろけに隠された何かがあったのは想像できるが、絵美が思うような亀裂ではなく、むしろ、以前にも増して濃厚な愛を育んでいることは確かであった。
「翔子さんは、ジネットさんとお会いになったのかしら?」
絵美は探りを入れてみた。
「直接お会いしてお断りしてきたって言ってました。お姉ちゃんてね、モデルのような人前でのお仕事は絶対できない人なの」
そう言って顔を赤らめた。絵美は律子の態度に不思議な違和感を覚えた。
「あんな素敵な女性だったら、いろんなところからお声がかかるでしょうに」
「あるに決まっているんだけど、そういうこと、いっさい無頓着……っていうか、華やかな世界は自分とは無縁とさえ思っていないようなの」
「…………」
「お姉ちゃんは、大学のフランス語科の先輩なのよ。そのフランス語の教授、女性なんですけど、その教授が、お姉ちゃんのフランス語はネイティブだって仰ったの。それで私、おねえちゃんの特訓を受けていたこともあるの。すごい頭がいいのに、浮世離れしているところがあるのよ」
「分かりますわ。初めてお会いしたとき、この世の人かしら、なんて思いましたもの」
「でしょ? 私も、実は教授室の前でお姉ちゃんとぶつかったのが初めての出会いだったんですけど、心臓が止まるかと思いましたもの。そしていろいろあって……。絵美さん、この間ウチにおいでになってお気が付かれたと思うけど、テレビ、なかったでしょ? お姉ちゃんてね、いつもお勉強はしているけど、芸能界のこともファッションのことも、ほんと関心ないみたいなのよ。家の中が一番、なんて言いながら、裸でウロウロしちゃったりして……そんなことまるで平気な人なの」
律子は、自分がビアンだということを隠そうともせずに、その時を思い出したように大笑いし、それは以前のままの律子だった。余程楽しい毎日なのか、翔子の浮世離れした会話や日常の仕草を話すときは、笑い転げるほど楽しそうなのに、ふと、寂しげな表情に戻る律子の表情の謎が絵美を翻弄した。
律子が翔子に夢中なのは充分察することはできる。翔子も律子を愛しているのも疑いようがない。しかし、どこかに、二人の愛を阻む何かがありそうに絵美には思えて仕方がなかった。律子をふいに涙ぐませるのは何なのか、翔子とのベッド上にあるのだろうか。<ああ……そんなこと考えたくない……>そう思いながらも、幸せに対する漠然とした不安とか、二人の間に愛情のすれ違いがある、などという、絵美にとって都合のよい兆しが微塵も感じられないことが悔しく、律子のこととなると、考え過ぎてしまう絵美だった。。
急に律子が言った。
「お姉ちゃんてね、世が世なら貴族のオヒメサマなのよ。うふふふ」
冗談だと思いながら、翔子ならあり得るように思えた。
「なのに……破れたパンティーでも平気で履いていて、リッコも履いてごらんなさい、新しい物より余程履き心地がいいんだからって」
律子は、楽しそうに妖しげな話をしたかと思うと、大粒の涙が膨れあがって、それを拭きもせずに泣きじゃくるのだった。
絵美は律子の感情の起伏に振り回され、こうした律子の謎めいた魅力から、どうあがいても離れられない自分を感じていた。
「ごめんなさい……絵美さん。お姉ちゃんのことを思うといつも泣けてくるの」
「翔子さんと何か問題でもおありになるの?」
「とんでもない! 好きで好きでたまらないからだと思うの。お姉ちゃんは、ひとりで何日でもおうちにいても平気なんでしょうけど、こうして絵美さんとお話ししているとき、お部屋に一人でいるお姉ちゃんを想像してしまうと、切なくなって早く飛んで帰りたいって思ってしまうの……私帰ります」
絵美は、<ああ……律子の愛着に火を付けてしまった>と後悔した。
不思議なことに、律子にそこまで愛されている翔子に対しては、嫉妬らしい感情も湧かず、羨ましいとも思わなかった。ただ、律子から離れられなくなっている自分の執着心を恨んでいた。