第1章 脱皮-4
たしかに私は、ミクのように明るくはなれないのです。けれど、ミクに好かれていると信じられたのは叫び出したいほどの喜びでした。
私は、自分でも信じられない自然さでミクの首に手を回して思い切り抱きしめました。そして、無意識に溢れる涙を隠そうともせずにミクに言ったのです。
「うれしい! 私もミクさんが好き」
ミクの話で状況が分かったからと言って、急に今日から級友たちの前でどのような態度がとれるでしょう。相変わらず私と級友たちの間にある溝はそのままでした。でも、ミクが時折送ってくる目配せに私の心は温かく和み、体の奥に温かいものが流れるのを意識するようになっておりました。
ミクとは物語の恋人同士みたいになれたのです。
私は、学校の帰りにしばしばミクの家に寄るようになりました。
母に抱かれていた、とか、一緒に旅行に行った、などの想い出がなかった私にとっては、深い木々に囲まれた広い屋敷が私の世界の全てでしたから、友達の家に寄り道するなんてことは初めてでしたし、まして、ミクの家庭との違いは驚くことばかりでした。ミクの家も結構立派なお家でしたが、いちばん驚いたのはテレビでしょうか。私の家にはテレビがなく、級友たちの話が全く通じないのはそのせいもあったのでしょう。ミクのお家で、ご家族と共にお茶をご馳走になったとき、テレビが点けっぱなしになっておりました。私には、画面の中の歌や踊りがただの雑音のように思えて胸苦しくなったのを覚えています。ミクの部屋にもテレビがあって私を驚かせ、これが普通のお家なのかと、私の世間知らずは相当のものでした。
ミクのご両親とも話をする機会も増えました。ところが、私自身ごく普通の小学生だと思っておりましたのに、ある日のミクのお父さんの言葉には、ショックというより訳の分からない嫌悪感を持ったことがあります。私にはその言葉も意味も分かりませんでした。でも、ミクのお父さんと、廊下のお手洗いの前で鉢合わせになったのを狙い澄ましたかように語りかけてきた態度と言葉は、口に出しては言えない雰囲気でした。成長して分かったことですが、普通、男性なら言葉にするかも知れないある卑猥な誘いを私に囁き、自分をミクの父親だと思わないで欲しい、と言ったのです。
ミクには決して言えないと思いました。その不快な気分は、電車の中や道行く他人の男性から受けたものではなく、大好きなミクの父親であるだけに、汚物をかけられたような不快感となっていつまでも尾を引いておりました。
それがミクとの関係に思いがけない変化を生じさせたのは、一体私にどういう心の変化を与えたのでしょう。