第１章 脱皮-2
2、未来（ミク）
叫びたいほどの快感……。
そうなのです。私はこの一年余りの間に、小学生にあるまじき体験をしていたからなのです。
小学5年生に進級した1学期でした。
自分が同級生のみんなに疎外されていることに気付き始めていました。苛めを受けている感覚はないのです。春休み前のように普通に話しかけようとした級友は、はにかんだような小声で応え、逃げるように私の前から立ち去ったのです。そして、一群れの級友たちのもとに走ると、そこに忍び笑いが起こってざわつくのでした。そんなことが何人も、何日も続くと、級友たちと私の間の何が変わってしまったのか、迷い、ためらい、そして幼い頭は考えることに疲れ、次第に無口になっていきました。休み時間には校庭に出ることもなく、一人教室で本を読んでいることが多くなっていました。
私は、もともとあまり大きな声で笑うこともせず、喜怒哀楽の感情が乏しいことは自覚しておりました。それが普通の私からすれば、殊更に級友たちに好かれようという演技もできませんでしたから、むしろ、一人きりの世界に閉じこもっていた方が楽だと思えるようになっていたのです。
ところがある日の朝礼前、私の横に立った子が肩に手を乗せて聞いてきたのです。
「何読んでらっしゃるの？」
私は正直飛び上がるほど驚きました。あるはずがない事が起きた内心の嬉しさのせいです。でも、それをそのまま態度に出せないのが私のいけないところなのでしょう。
「アガサ・クリスティー……」
「何殺人事件なの？」
「ミス・マーブルの……」
俯きがちにそんな短いやりとりをしながらふと顔を上げると、知らない顔の子でした。私の怪訝そうな目を見て、
「私、今日初めて登校してきた転校生のミクです。未来って書いてミク」
「＜ああ、確かに昨日、そんなことを先生が仰ってた……＞私……翔子です」
「翔子さん？……私もミステリー大好き。今度ゆっくりそのお話したいわ」
「ええ、ミス・マーブルとか、ポアロとか……」
ミクは、日本人形のように黒々とした目で頷きました。その愛くるしい表情に誘われて、わだかまりなく話せる初めての友を持てるような気がしました。
いつものことですが、一人で駅に向かっている下校時、私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がして振り返ると、ミクが息せき切って私を追いかけてきました。鼻の頭にポツポツと光っている汗の玉を見ると気持ちが明るくになりました。
「翔子さんたら、何か考え事なさってたの？ あんなに何度も＜待って！＞って叫んでいたのに……」
「ごめんなさい……。こんなこと……」初めてだから、という言葉は飲み込んでしまいました
「翔子さんって、背、何センチあるのかしら。高いのね」
「170……くらいかしら」
「もっとありそうですわ。何かスポーツなさってるの？ バスケットとか」
「いいえ何も。ああ、プールで泳いだり、テニス……くらいはしますけど」
「プールって？ 翔子さんのお家にありますの？」
「ええ……なぜ？」
「なぜって……スゴイなーって思って」
「スゴイなんて、そんな……」
「じゃあ……テニスもご自分のお家で？」
「ええ……」
「すごい！ 広いお家なのね。そんなお家だったら、お客さんがいっぱい見えるんでしょうね、賑やかでいいわね」
「ウウン誰も。パパがいた頃は良くお人が見えたけれど、今は全然……」
「翔子さんのお友達は……？」
「翔子、お友達いませんから」
「そんなァ……スゴイお屋敷で、寂しくなくって？ あ、ミクは賑やかなのが好きだから、つい……ごめんね。いつも、何してらっしゃるの」
「翔子……？ まあ……本が好きですし、これからはプールで泳げるし、お手伝いの小枝子たちとテニスするのも楽しいし……ピアノが好きですから、聞いたり、弾いたり……一人でボーッとしていることは嫌いじゃないから、別に寂しいって思ったことはありませんけど……」
「…………」
ミクは質問ばかり。