イート・ミー!-4
後始末を済ませ、結局クリームを使わなかったと文句を垂れる錦を小突きながら俺は喉元を抑える。
喉が渇いている。錦にも何か飲むかと尋ねれば、小さくこくりと頷いた。
「へへ、ありがと」
――何だかんだで可愛いところはある。だから、邪険にしきれないのだ。
(スポーツドリンクの作り置きあったかな)
腹を掻きながら階段を下りれば、ばったりと兄貴と鉢合わせた。
「……避妊はしろよ、栄助」
「――!!」
母さんがいなくてよかったな、と涼しい顔で言う兄貴に、俺は今更ながら錦に対してこの家への出入り禁止を決めたのだった。
「佐藤栄助、聞いとるのか」
「ん……は、あ?」
しまった。完全に落ちていた。
俺は慌てて教科書を捲るが、目の前の化学教師――富有は呆れたように溜息をつく。
「佐藤……今は教科書じゃなくて資料集を開いてほしいんだがな」
「す、すんません」
「それと涎を拭いとけ。気合入れろよ、らしくないぞ」
級友達の笑い声の中、俺は袖で口許を拭い息をついた。
傍らに座る友人――夕張がにやにやと笑っている。
何だ、と突っかかるのは得策ではない。ここは無視に限る。
「え・い・ちゃーん。昨日は激しかったみたいだな?」
「………」
「相手はやっぱり錦ちゃんなんだろ?」
「………」
「おーい無視すんな」
「うるさいぞ、夕張!」
一喝される夕張。ざまあみろ。
しかし。
「佐藤、眠気覚ましに108ページを頭から音読しろ」
……ちくしょう、とことんツイてねえ。
「んあー、水曜は七限まであんのが辛いよなぁ」
「夕張、帰るか」
「あれ、珍しいな。栄助帰りひとり?」
「……ああ」
俺は帰宅部だが、錦は部活に入っている。部活のある月曜、火曜、そして木曜は大抵平和だ。
経験があるからといって強く勧誘されたらしい新体操部は、自他共に認める弱小部のようで、錦もそろそろ辞めるということを二ヶ月も前から口にしている。それでも辞めないのは何だかんだ新体操が好きなんだろう。
(本当、身体柔らかいよな。どんな体位でもできる――)
そこまで思い、俺は思わず頭を抱えた。
(って何で! そこで体位のことを考えちまうんだ、俺!)
相当毒されているなと思いながら、珍しく水曜日に錦からの誘いがないことに安堵し、俺は家路に着いたのだった。
金曜日。
いつものように4人でハンバーガーを食いながら他愛ない話をする。シェイク片手に上の空なのは、決して誰かがいないからというわけではない。
「錦ちゃん、来ないな」
「愛想つかされて、いい気味〜」
「うるせぇ」
上機嫌の富士を睨みつけ、俺は空の紙コップを潰した。
くそ、やっぱりいつものバニラにすりゃよかった。新作だからってサワーチェリー味なんて頼むもんじゃないな。
(思い出すじゃねぇかよ)
あの唇、媚薬のような甘いリップクリームの香りを。
「……帰る」
「もう?」
立ち上がった俺を甲斐が見上げる。悪いなと苦笑する俺に、夕張が平然と言った。
「錦ちゃんが来ないからそわそわしてんだろ」
「誰が」
「本当頑固だな、お前も」
夕張は肩を竦めて笑った。うるさいと俺は言って鞄を肩にかけた。そして友人等に背を向けた瞬間、聞こえる奴等の声。
「仲直りエッチで月曜日のキスマークが2つに500円」
「んじゃ、3つ以上に1000円〜」
「仲直りできなくて月曜日も不機嫌に500円」
「だから、聞こえてんだっつの!」