第三章 団子と朝顔-9
「あ、亮ちゃん。ここにいたのね。」
突然、ばぁちゃんの声が部屋に響いた。
驚いて振り返れば、そこにはよろよろと不安定な足取りで部屋に入ってくるばぁちゃんの姿。
胸には、さっき折った朝顔が大事そうに抱えられている。
「良かった。帰っちゃったかと思ったわ」
安心したように微笑むその笑顔に、まだ俺のことをわかっているばぁちゃんなのだと嬉しくなった。
「ばぁちゃん、おやつ買ってきたから食べようぜ。団子もあるよ。昔、ばぁちゃんが作ってくれたのには適わないけど…」
ガサガサと、コンビニ袋から調達品を取り出す俺。
「あ〜いいなぁ!抹茶プリンおいしそう」
(あれ?)
思わぬ方向から飛んでくる反応。
「和泉さん、抹茶プリン好きなの?」
「甘いもの、大好き!…亮くん、百瀬さん時々むせ込んじゃうから、ちょっと注意してみててね〜」
手を振りながらばぁちゃんと俺に声を掛け、彼女は退室しようと踵を返した。
「あ、あの…」
「あら、お姉さんも一緒に食べましょ。賑やかなほうが楽しいわよね、亮ちゃん?」
(ばぁちゃん…)
立ち去る和泉さんを呼び止めようとしながら、ろくに声も掛けられなかった俺を知ってか知らずか、ばぁちゃんがナイスなフォローをしてくれる。
「え、でも…」
「もう、仕事はとっくに終わってるんでしょ?だったら、少しくらいはいいんじゃないっすか?」
『来るか来ないかわからない俺を、こんな時間まで待っててくれたお礼です』とかなんとか、さり気なく言える…ような大人のキャパは俺にはなかったぜ…。
「じゃあ、ありがたくお気持ちに甘えます!」
そうして、即席のお茶会は始まった。
ばぁちゃんは、よく笑ってよくしゃべって、団子もプリンも平らげた。
認知症だなんてウソのように、昨日のことはばぁちゃんの演技だったんじゃないかと思ってしまうくらい、そこには自然で当たり前のように時間が流れていた。
「百瀬さん、今日は食欲ありますね。最近、あまり召し上がらないから心配してたんですよ」
「あら、そう?昔からよく食べるほうなんだけどね。やっぱり年なのねぇ」
ふふ…っと、ばぁちゃんはちょっと淋しそうに笑う。
「もうそろそろ、お空からお迎えが来ちゃうのかしらね?」
「「そんなことない!」」
…あ、カブった。
俺と和泉さんの全力否定。
「あらあら、2人とも」
ばぁちゃんは、食おうとしていたシュークリームを握り潰しちまった俺と、立ち上がった勢いで、座っていた椅子をひっくり返した和泉さんを交互に見ながら、また楽しそうに笑う。
(ばぁちゃん…)
「天国とかお迎えとか、そういうこと言うなよ。ばぁちゃんには、まだまだ元気でいてもらわなきゃ困るんだから」
とにかく元気でよく動き、太陽のように暖かい人。
それが、俺のばぁちゃんなんだよ。
だから、そのばぁちゃんの口からそんな言葉は聞きたくないんだよ。
「そうですよ、百瀬さん」
倒した椅子をあたふたと直しながら、和泉さんも懸命に俺と同意見を述べてくれる。
「そうねぇ。…まだ、亮ちゃんのお嫁さんに会ってないものね。やっぱり、ばぁちゃんはそれまで死ねないわ」
「そうだよ、ばぁちゃん!…いや、嫁はまだいないですけどね」
後半部分、残念ながらトーンダウンしました。
「あら、そうなの。だったら、この2人でいいんじゃない」
「「いやいやいやいや」」
あ、またしてもカブった全力否定。
…ばぁちゃん、どんな爆弾を投げ込むんだよ。
「でも、亮ちゃんも本当に大きくなって。不思議なことに、ますますりょうたろうさんに似てきたわねぇ」
…あ、まただ。
『りょうたろうさん』
加奈は、じぃちゃんの弟…って言ってたけど…。
「ばぁちゃん、りょうたろうさんって…誰?」
ばぁちゃんの右手がゆっくりと伸びて、俺の頬を静かになでる。
「亮ちゃん。…わかってるかもしれないけど、ばぁちゃんは年とってぼけてきちゃって、次に会える時は何にもわからなくなっちゃっているかもしれないよ。だから、ばぁちゃんが今から話すりょうたろうさんのことを、亮ちゃんはしっかり覚えておいてね」
「ばぁちゃん…」
わかっているんだ。
自分が、認知症であるということを。
自身ではどうにも抗えない『老い』という現実を、ばぁちゃんは必死に受け止めていたんだ。
窓の外は、まだまだ8月の日射しが強い午後3時。
おやつを並べたベッドの脇で、ばぁちゃんは静かに語り始める。
遠い目をして、でもどこか少女のような表情をしたばぁちゃんから紡がれるそれは、遠い昔――日本がまだ各国と『戦争』をしていた頃の、悲しくて切ないひとつの恋の話だった。
※第三章 団子と朝顔(終)