若芽の滴-3
痴漢に会った翌日、憂鬱な気持ちに支配されたまま、汐里は駅へと来た。
初登校も無事に終え、本来なら明るく通学出来る筈だが、その足取りは重かった。
両親にも、痴漢された事は話してはいない……心配をかけたくない気持ちもあるが、本当のところは恥ずかしかったからだ。
誰か知らぬ人に、自分の尻を触られたなど……成人女性ですら、痴漢行為に泣き寝入りする人がいるというのに、多感な少女には無理からぬ事でもあった。
周囲の男性が全て痴漢に思える。
恐怖で全神経が鋭敏になった少女が、またも人波に呑まれ、檻のような車内に押し流されていった。
(何で…無理矢理入ってくるの?他の人と体がくっつくじゃない!!)
他人と体が接触する事すら、今の汐里には嫌な事であったし、隣に立つ乗客にさえも、恐怖を感じるようになっていた。
鞄を胸元にギュッと抱え、不安な表情で直立し、落ち着きなく周囲を見回していた。
(こ…来ないで……)
不安げな少女を乗せた車内は、何事も無く乗客を運んでいく……揺れる度に隣人と体がぶつかり、足がよろめく事はあっても、汐里の“体”を目当てに触れてくるモノは無かった。
(はぁ…よかったぁ。今日は大丈夫だった……)
ホッと胸を撫で下ろし、安堵の表情を浮かべて、汐里は電車から降り、学校へと駆けて行った……。
(今日も大丈夫かな……?)
翌日も、翌々日も、その次の日も、痴漢は現れなかった。
未だ不安は消えてはいなかったが、通学するには、この時刻のこの電車しかない。
いつものように鞄を抱え、周囲に注意を払いながら、揺れる車内に体を任せていた。
(……もう居ないみたいね。そうよね、たまたま乗り合わせただけよね。毎日痴漢するバカなんている訳ないし……)
自分に言い聞かせるように、何度も心の中で呟いていた。
電車に乗る度に、痴漢に会う人もいない筈。
いつも痴漢行為を働く男だっていない筈。
少しの安堵感が生まれた汐里は、初めて吊り革に捕まり、車体の揺れに抗った。
シートに座る乗客の前に立ち、僅かに体を捻りながら、周囲をそれとはなく見回していた。
今日は女性客も多く、痴漢が居そうな気配は無い。
(今度お尻を触る奴が来たら、手首掴んで警察まで連れてくんだから!)
あの時に何故、勇気を出して叫べなかったのか?あの日の自分を責める、もう一人の自分がいた。
昨日まで、いや、さっきまで、あれほど痴漢の影に怯えていたというのに……変質者の恐怖が薄れただけで、汐里は少し強気になっていた……。