投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

パルティータ
【SM 官能小説】

パルティータの最初へ パルティータ 13 パルティータ 15 パルティータの最後へ

パルティータ(後編)-2

奇妙な夢の断片だった。それなのに男は、《たったそれだけの妻の夢》をとても長い時間見ていたような気がした。妻と別れてから十年ほどが過ぎようとしていた。あれから妻とは一度も会っていない。それなのになぜ妻の家を訪れた夢を見たのか自分でもわからなかった。別れてから初めて見た妻の夢だった。そしてその夢はとても性的な夢だった。なぜなら夢から覚めたとき、彼は夢精をしていたのだから。

 熱いシャワーで下半身に付着した精液を洗い流したあと、真夜中のテラスに佇み、煙草に火をつける。ずいぶん長く眠っていたような気がするのに、まだ夜が明けそうな時間ではなかった。
失われた妻の記憶だと思っていた。妻が何度となく夢の中に出てくるのが不思議だった。
少なくともあの頃の彼は、《自分の不確かな愛》を妻に囁き、体を重ね、抱き合った。ところがある日、妻の中に深く入り込み、射精をした気がしたのに実際には交わることさえできず、彼は妻が自分にとって、いったい誰なのかわからなくなっていることに気がついた。そもそも、なぜ、いつ、どうして彼女が自分の妻になったのか。いったいどういう女を妻と呼んでいたのか、疑問だけが脳裏を空回りするようになった。
妻と別れてからも彼の中には、彼女を妻として意識した痕跡もなく、ただ、ほんとうの性的な関係を妻と築けなかったことの曖昧さだけが記憶に残っていた。彼は妻との性愛について考えた。性愛という言葉が含む夢想の断片は彼にとって《確かなもの》であるのに、彼の中でけっしてストーリーを描くことはなかった。

 奇妙な妻の夢を見てから一か月後だった。
「どこかでお会いしましたでしょうか」
 日曜日の早朝の喫茶店で偶然、近くの席に座った老人に声をかけられたとき、男は戸惑った。なぜならその老人は夢の中に出てきた老人に似ていたからだった。白髪で黒縁の眼鏡をかけ、神経質そうな特徴的な顔は確かに夢の中の老人に違いなかった。
「実は、どこであなたに会ったのか思い出せなくて」と男は、もちろん夢の記憶を口にすることができないまま言った。
「そうですか。よくあることです」と、老人は笑いながら追加の珈琲を注文するためにウエイトレスに手で合図をした。
「私もあなたとどこかでお会いしたような気がしたのですが、思い出せません。歳を取るということはこういうことなのですね。最近は自分でも、もの忘れがひどくなったように感じますよ」と老人は微かな笑みを浮かべた。
 男は思いきって言った。「失礼な質問でしたらゆるしていただきたいのですが、あなたには買った女性がいらっしゃいますか」
 老人はその言葉に少しも戸惑うことなく穏やかに言った。
「よくご存じで。ええ、一か月前に買った女性がいます。お恥ずかしいかぎりですが、私よりもかなり年下の女性です。と言っても五十歳になる女性です」
 老人が平然と口にした女を買うという言葉に、彼は戸惑いの表情を隠せなかった。自分の夢と現実がゆっくりと重なりあっていくのを感じた。

「女性をお買いになったということは、いったいどういうことでしょうか」と男は言った。
「そういうことは、私に限らず、どんな男性にも少なからずもっている欲望ではないでしょうか。私は、偶然、オークションで売りに出されていた女性を買ったのです」と神経質な顔を不器用にゆがめた老人は、不可解な言葉をあたりまえのように言った。
 オークションで妻が売りに出されたって………彼の中でその言葉が奇妙に響き、老人が言った言葉と夢の記憶がゆるやかに重なっていく。妻がこの老人に買われるなんて、そんなことが現実として考えられなかった。そもそも老人が買ったという女性が妻である証拠は何もなかった。どう見ても妻が惹かれるような老人ではなかった。よく見ると、老人は頬がこけ、貧相で神経質な顔をし、痩せた身体の背骨を曲げ、輪郭は骨そのものを露呈したような不気味ささえ感じさせた。
彼はそれ以上のことを老人に聞くことをためらっていた。

 ウエイトレスが老人の前におかわりのエスプレッソの珈琲を置いていった。店内は日曜日の早い時間ということもあって、客は彼と老人以外に誰もいなかった。
「あなたは不思議にお思いになっているのではありませんか。こんな老いた男が三十歳も歳の離れた女性を買ったことが」と言って老人は静かな笑みを頬に浮かべた。
 妻を買ったという老人の繰り返される言葉が不思議なほど男の中で空回りをした。そもそもほんとうに《老人が妻を買ったこと》は事実なのだろうか、老人はそう思い込んでいるだけではないのか。彼は冷静を装うように心の動揺をおさえ、煙草に火をつけた。
「オークションで掲載された女性の写真を見たとき、とても気に入りましてね。私は彼女がとても欲しくなりました」そう言いながら、老人は内ポケットから一枚の写真を取り出した。
「私が買った女性です。あまり人様にお見せすることはないのですが」と言いながら、写真を男の前に差し出した。
 その写真を見た瞬間、男の胸の奥が烈しく軋んだ。写真の中の女性は全裸で檻に飼われていた。そして写真は男に妻の記憶を甦らせた。なぜならその女性は彼の妻に間違いなかったのだから……。


パルティータの最初へ パルティータ 13 パルティータ 15 パルティータの最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前