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パルティータ
【SM 官能小説】

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パルティータ(後編)-15

 …………

 時計は真夜中の午前一時を過ぎていた。女は夢の中で遠い記憶をたどり、ふたたびあの場所に戻ってきた……。

女は白樺の林の中にある沼の畔(ほとり)に佇んでいた。彼女の体の中を《誰か》が通り過ぎ去っていた気配が記憶をたぐり寄せるように体の中に漂っていた。あのとき《誰か》に囚われ、どこかに監禁され、レイプされた感覚。それは確かに奪われ、汚され、穿たれた感覚だったのに、いつのまにか甘美な記憶となって女の中に漂っていた。
目の前には色彩のない風景が拡がっている。曖昧な風と朧(おぼろ)な光に充ちた空、沈鬱な白樺の林、そして水草におおわれた無言の沼。澱んだ水面に誰かの姿が映っていた。それは制服の少女だった。その顔は、ほんとうは自分の顔なのに、自分でない少女の顔だった。水面に映った少女が、逆にその姿を女の影として映し出しているような感覚だった。時計の針が急速に逆戻りを始め、心と体を瑞々しく潤ませていく。

そのとき女の中に男の声の記憶が微かに甦ってきた。
お迎えに来ました……。

背後から聞こえた男の声に彼女は振り向いた。そこには背の高い、若い男が立っていた。彼はおそらく女が待っていた男かもしれないと彼女は思った。彼の足元には葡萄酒色のスーツケースが置かれてある。鼻筋の通った端正な顔。女はじっと男の顔に視線を注いだ。彼もまた女の視線を甘く優しく受け止めた。
沼の澱みから何かを囁くような音が伝わってくる。音は光を含み、風に乗り、女の頬を優しく撫でた。それは懐かしい誰かの感触を甦らせた。気がつくと音は男の指だった。美しい輪郭をもつ指は彼女の頬をなぞり、やがて掌となって頬を包み込む。男の顔が女の顔に近づき、唇が触れる。口がふさがれる。互いの唇が溶けていく。時間も、場所も、記憶も……すべて、何もかも。
やがて女の身体は、男の手によって小さく折りたたまれる。女は遠い時間の暗闇の中に封じられた。そこはきっとスーツケースの中だった。そのとき女は、確かな自分に戻っていることを感じ、とても安心した……。


――――――― 

終わりのないパルティータのためのエピローグ……… 

誰なのかはわからないが、きっと《何かに呪縛された男と女》に違いないと思っている。禁欲と自責、そして自らの不感と不能に服従する呪縛と自愛。そしてふたりが奏でるパルティータ。
女が誰であるのか、男が誰であるのかはふたりにとって意味を持たない。ふたりのあいだに《ほんとうはどんな関係があった》のか物語には書かれていない。《妻であったらしい女と夫であったらしい男》はすでに十数年前に別れている。別れたあとにどんな関係もなく、互いのどんな記憶も残ってはいない。ただ、ふたりの記憶の中には、ひとりの少女が白樺の中にある沼の畔(ほとり)に佇んでいる憧憬だけが映っている。

遠い記憶をたぐり寄せる。でも、考えてみればそれぞれの記憶の呪縛によって女と男とのあいだに何かが始まったわけではない。物語の男は呪縛した女を恥辱に晒し、強姦し、陰部に銃弾を打ちこんだわけでもなく、あるいは呪縛された男が女によって檻から引きずりだされ、棘の鞭を打たれ、磔にされ、ペニスを切断されたわけではない。
けっして鍵を開けることのできない檻でさえぎられた互いの記憶、そして隔絶された記憶の物語によって、男と女は酷薄な欲情に駆られていく。触れることができないのに過剰なほどの意識の迷妄、疼きの増殖、自縛への葬送へ………。
 
 窓の外の漆黒の闇に小雪がはらはらと舞っている。まるで冬の蛍のような光を散りばめて。クリスマスの夜、白い雪がわたしの遠い記憶を真っ白に染め、その残像を聖夜の空に永遠に消してしまいそうな気がする。やがて真夜中に身をゆだね、夢の空気を吸い、あてもなく漂う記憶の断片を徘徊する。
そろそろこの物語を閉じたいと思う。男と女の記憶の断片はパルティータとして奏でられている。ひとつの物語を奏でながらも、ひとつひとつの物語が関係を示し、それぞれの物語は限りなく性的な、無為の連鎖と変容を繰り返す曲となって流れていく。終わりのない物語は、女と男がそれぞれにもっている永遠と普遍に彩られた性愛の憧憬を溶かし、無残に消滅させる。

おそらく確かな記憶となる前に………。


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