まことの筥-15
平中の鼻息が額にかかった。彼は今、どんな顔をしているのだろう。この闇の中で美しい貴公子がまるで岩瀬のように顔を歪めてしまってはいまいかと、姫君は雨雲で月明かりが入ってこないことを残念に思いながら、礼を言う平中のもとを名残惜しく去った。
平中は生唾を飲み込んでから、静かに遣戸を引いた。錠は差しておらず僅かな軋み音が立てて戸が開いた。中も相変わらずの闇である。あの愛しい人は部屋端に居ろう筈はない。壁を辿らずでは床を辿るしかなく、平中は四つん這いになって奥へと進んでいった。
永劫に続くかと思われるほどの闇だった。不安を覚えた矢先、
(おお……)
鼻先に芳しい女香が漂ってきた。手足を進めるほどに強まってくる香を探っていくと指先に衣が触れた。手を伸ばして確かめる。その丸みから、横臥した脚ももに触れているのだと想像された。
「う……」
呻き声が聞こえた。初めて聞いた悩ましい声に平中は体の血潮が沸き立ち、全て股の間へと巡っていった。苦しいほどに雄根が漲ってきて、無礼を承知で手のひらを登らせて優美な腰を撫で回してしまう。
「あうっ……」
慄く声。怯えている。女童からは何も聞かされていないのだろうか。だが、侍従もこれまで何度も恋沙汰を経てきただろう。自分の香も彼女の鼻先へ薫っているに違いない。このような夜半に体を触られては夜這いだとすぐに分かるだろうし、その男はしつこく文を送ってきた平中だと容易く気付く。それでも何も言わず溜息混じりの息を漏らすということは、もはや侍従は宵越しの覚悟を決めたのだ。彼女に相応しく奥ゆかしい色好みとして、ふるいつきたい衝動を抑え、背に身を寄せるように添い寝すると、
「遂に……、あなたのお側に侍ることができました」
優しく耳元で囁いた。鼻先を擽る髪は、氷のように冷たかった。いや髪だけではない、単衣しか羽織っていない麗しい肌の起伏もしっとりとして、指先でなぞると凍えるように軌跡が震えた。
「なんと美しい……、あなたほど素晴らしい方はおらぬ」
闇であるから姿形は見えない。だが参詣の折に垣間見た、車に乗り込む艶で姿――かつ冷たい微笑は、まさしく触れている身の冷たさに通じるところがあった。もう耐え難かった。不埒に滾る肉茎が彼女に触れてしまうのも構わずに後ろから抱き寄せると、髪の中に顔を埋め、うなじに舌を這わせた。塩辛さに舌を痺れさせ、手探りに見つけた帯に手をかける。
「ああっ……!」
侍従がより大きな声を漏らして、平中の背筋が騒いだ。柔らかく滑らかな腹の上に結われた留玉を握る平中の手の上から、ほっそりとした手が覆ってきた。
「お、お待ちください……」
手を握られて鼓動を早めながら、
「待てません。あなたに触れて、私はもうおかしくなりそうだ。……待てません」
焦れた声で囁くと、腕の中に抱く侍従が首を横に振った。
「ら、乱暴は、ゆ、許しません……」
静かだが毅然とした声だった。途端に平中は己の不躾が恥ずかしく、このままでは愛しい侍従にも恥をかかせてしまうと思い、帯から手を離すと極力優しく、起伏ある側身をゆるゆると撫でた。ここまで来て焦ってはいけない。もうこの人は自分の腕の中にあるのだ。平中は侍従にいじきたないと思われたくなくて、少し腰を引いて御身に擦り付けてしまっていた硬直を離し、彼女の気分が高まってくるのを待つことにした。