ちびま○子ちゃん-3
(3)
住み込みとはいえ、母屋とは別棟で、女将さんの部屋に入ることは滅多にない。『面接』の時とお正月にお酒をご馳走になった。あとは月一回、お給料をいただく時だけである。お茶に誘われたのは初めてだ。だから、
(何かあるのかな……)
気になったのはやはり経営のことである。全室予約で埋まることはまずないが、そこそこお客は入っていると思う。でも今日みたいな日もあるから、
(うまくいってないのかもしれない……)
辞めてほしいと言われたら…あ…。そうなったら仕方がない。真美子は漠然と覚悟を胸にした。
お茶を飲みながら、ふだん快活な女将さんの面持ちが何となく暗い。取りとめのない話をしていても気持ちが他にあるような感じだった。
(やっぱり、そうか……)
言いにくいのか。はっきり言ってくれてもいいのに。……職場を変えるのは慣れている。
会話が途切れ、女将さんと目が合った。
「真美子さん。折入ってお話があるの……」
歯切れの悪い言い方に、
(仕事のことだな……)
真美子は覚悟を決めて微笑んで応えた。
「はい。何でしょう」
女将の顔が綻んだ。
「真美子さん、あなた、ほんとに可愛い……」
わけがわからずその顔を見つめていると、
「思い切って言うわ。話を聞いて。お願いなの」
とても真剣な眼差しに声が出ず、ただ頷いた。
「真美子さん、誰か想ってる人はいるの?」
「え?想ってる人?」
「好きな人ってことよ」
「いえ、別に……」
(いきなり何を……)
「それなら、っていうのはちょっと乱暴だけど……」
女将さんはちょっと声を落して話し始めた。
「あのねーーー」
「え?……」
結婚の話だった。
「結婚?あたしの?」
それも、相手は、
「息子さん、ですか……」
「ええ……。真美子さんはまだ会ったことないけど、30になるの」
「蔵王の旅館で修行なさってるとか」
「修行……。まあ、知り合いのところで勉強をね……」
寝耳に水のことなので答えようがなく、ただテーブルに目を落して聞いていた。
「大事なことだから、この際ぜんぶ話すわね……」
清水健一は30歳。いま友人が経営している温泉ホテルにいる。周りには修行、勉強といってあるが、そこへ行き始めたのは一年半ほど前のことで、それまでは東京でフリーターだったという。
「旅館とはまったく関係のないアルバイト」
たまに帰ってきてもごろごろしている。言えば手伝いはするが、まったく身が入らない。
「主人が病気で亡くなったのはあの子が高校三年の時でね。すぐに跡を継いでくれるものと思っていたら急に大学に行きたいって言い出して……」
観光学部に行くっていうので、それならばと了承した。だが卒業しても何だかんだと帰ってこない。
「いろんな職種を経験したほうが将来プラスになるなんて理屈言って。一人っ子で遅い子だったからあたしもつい甘くて。いけないと思いながらずっと仕送りしてたのよ。だからなおさら帰ってこない」
意を決して打ち切ったら一か月後にやってきてアパートは引き払ったと言った。その時それまで溜まっていたものが噴き出してきて懇懇と説教した。
「最後は泣きながら言ったわ。あたしもあと2年で70だからね……」
ここを継ぐ気がないんなら自分の代で廃業する。お前も家を出て好きなことをしたらいい。
「泣き落としのつもりはなかったけど、応えたみたいでね」
それで蔵王に行ったという。時々友人に様子を訊いてみると真面目にやっているらしい。一年半の間、一度も帰って来ていないから本気になったのだろう。ただ、まだまだ未熟で経験も浅い。それに、
「うちみたいなところは家庭的なサービスでお迎えしてるから、やっぱり夫婦でやっていくのがいいのよ。だから……」
結婚……。
「腰を据えてもらう意味でもね……」
「でも、あたしなんか……」
「一年見てきて、あなたの働きぶりは申し分ないわ」
「そんな……」
「お母さんも旅館のお仕事だったんでしょ。受け継いだのね」
真美子が黙っていると、
「もちろん、健一に会ったこともないんだし、一方的な話だから返事のしようがないでしょうけど、会うだけ会ってくれないかしら」
「はあ……」
自分を認めてくれたのだから、それは嬉しいことなのだが、もし断った場合のことを真美子は考えていた。話の段階ならまだしも、本人と会うとなれば、
(ここには居ずらくなるだろう……)
女将さんは真美子の心中を見透かしたように、
「あのね、お見合いとか、そういう堅苦しいものじゃないから。気に入らなかったら何もなかったことにするから」
言ってから急に言葉に力がこもった。
「真美子さんが必要なの。あなたじゃないとだめなの」
身を乗り出してきたので真美子は思わず身を引いた。
「やっぱり、話しておかないといけないわね……こんなお願いするんだから……」
「……」
「あなたに失礼よね……」
何を言っているのかさっぱりわからない。
「何て説明したらいいのか……」
女将さんの表情は複雑に曇り、溜息をついた。