5.つきやあらぬ-16
紅美子はタバコを咥えたまま、脚を崩してしどけなく開くと右手をワンピースのスカートの中に入れた。内ももに手を添えると、手首で裾が捲れて片足が顕わになる。
「見てて興奮してきたら、抱きにかかってもいいよ」
内ももを手のひらで撫で、更に脚の付け根の方へ侵入させていき、爪の先でショーツの表面に触れた。目を閉じてスカートの中に集中する。しかし恥丘が感じているのはつまらない、乾いて凪いだ感触だった。
「自分でしたって気持よくないだろ?」
「……そんなことないよ。すっごくエロくなってきた」
「君は芝居がヘタクソだ」井上が笑った。「この先自分でも知っておいたほうがいい」
「でも徹にバレなかった」
「……徹くんの前では芝居じゃなかったからだろ」
運転席の憂えげな佇まいを瞬時に消し、井上はハンドルを握り直してわざとらしい溜息をついた。「ひどいことを言わせるな、君は」
紅美子はスカートから手を抜き、タバコを携帯灰皿に密封すると両手を脚の上に置いてヘッドレストに頭を付いた。深くシートに身を沈めて、瞼を閉じたまま呟く。
「励ますのヘタだね、私」
「僕を励まそうとしたつもりかもしれないけど、きっとちがうね」
井上は前から迫ってくる所要時間の電光表示を上目で見て、「……君が苦しんでるその心の穴とやらは、自分で体を慰めたって埋まらない」
「……」
「ちなみに、僕にヤラれたって埋まらない。分かってるだろ? 自分でも」
「……ね、教えてあげよっか?」
「なにを?」
紅美子は目を開けずに少し捲れていたスカートの裾を引っ張って居住いを直し、
「あんたって、すぐそうやって人のことを見透かす。……そこが一番、だいっきらいだった」
と言った。
紅美子は井上の言葉を待った。何も言って来ない。何も言ってくれない。しばらく沈黙が続いた。
「……ねぇ、私……。栃木に何しに行くんだろ」
重く垂れ込めてきた沈黙を嫌って紅美子が口を開く。
「おいおい……、誰が言い出したかも忘れた? ……まったく、ムチャクチャだな君は。徹くんはよく二十年もこれに付き合ってる」
ふき出した井上に瞳を閉じたまま、紅美子も笑った。
「そうだね、私、ムチャクチャだ……」
体を揺すっていた笑いが収まってくる。だが、体の揺すりが収まってこない。閉じている瞼に揃う睫毛の隙間から涙が頬を垂れてきた。息を吸い込むと、吐き出す拍子に嗚咽が漏れそうになる。急いで両手で顔を覆って項垂れた。手のひらがどんどん濡いていく。
「……徹」呟きたくなかった名前が漏れた。「やだなぁ……。徹、いなくなっちゃうのか……」
声に出してしまうと、その現実感が紅美子を押し潰してくる。ムチャクチャだ。言ってることがまるでデタラメだ。本当に、徹はよくこんな自分を二十年も相手している。あの素直な眼で、ずっと自分の言うとおりに、自分が望むべくように懸命に何でもしてくれた。前回会った時に雄の哮りで紅美子を絶頂に導こうと努めたのも、あの女に何か言われたに違いなかったが、徹として何とかして紅美子を女の悦びに包んでやりたかっただけなのかもしれない。
こうなってしまったのは、全て自分のせいだ。
「簡単だ。君が許してやればいい」
「許す? ……一回、浮気許したら、結婚しても、……ずっと浮気、されちゃうじゃん」
嗚咽の中、紅美子が言った。
「だから、あれは徹くんの浮気じゃない」
「じゃ、何……?」
「言って欲しい?」
「……知ってるよ。私のだって」
「徹くんを許せば……」井上が内ポケットからピースを取り出した。「……灰皿とライター、貸してくれ」
紅美子は身を起こして井上の唇から短いタバコを抜き取った。そして自分で咥えて火を点ける。自分が吸っているものよりも格段に濃い煙に咽せながら、吸口を井上の唇に再び差し込んだ。
「……よくこんなの吸えるね」
「久々に吸ったら喉が灼けそうだ」
「――で? 徹を許せば、何?」
「君も自分自身を許すことができる。……それで罪が贖える」
「ロマンチックな言い方」
紅美子はバッグからティッシュを取り出して濡れた顔を軽く叩き、目尻を拭った。「きっと化粧ボロボロ」
「許してやれよ」
「……じゃ、コレって、私が罰を受けるために栃木に向かってるんだね」
「君だけじゃない。僕も今、罰を受けてる」井上はタバコを挟んだままハンドルを握り、コンソールに向かって勢いよく煙を吐き出した。「人の女に手出して、罰を受けたのは初めてだ。やっぱり、悪いこと、だったんだな」
「さげまんでホント、ごめん」