4.月は自ら光らない-16
恋人同士だ。誰も見てないところでこんな遊びをしても構わない。だが徹が栃木に暮らし始めるまでは紅美子にはそんな発想すら無かったのに、酔狂とはいえ求めてしまったのは、一ヶ月ぶりの浴室でのセックス以来、井上がどんどん破滅的な抱き方になってきて、それでも毎度逃れられない快楽に身を浸してしまっていることに対する自忌を払拭したい思いがあったのかもしれなかった。
徹が東京にやって来て、彼の実家で両親と昼食を食べた。その後二人で出かけた。デートだ。街を歩いている時から徹がずっとショップのビニール袋を――恐らくは中身はそのショップのものではないだろう――持ち続けているのは気づいていた。有名服飾チェーンの袋に入れて中身をカムフラージュしようとしているのが可愛らしく、紅美子は徹と指を組むようにして手を繋いで歩いた。すぐ腕を組んで歩く癖がある紅美子と、繋ぎたくても言い出せずにいた徹のせいで、十年も付き合ってきて手を繋いで歩いたのは初めてだった。
夕暮れ時になった。母親には徹が来ることを言ってあるから、遅くなっても、たとえ帰らなくても何も言われない。徹もそうだろう。紅美子は鶯谷のラブホテル街へ徹を導き、二人でホテルの入口や外観を見て回って、わりとオーソドックスな一室を選んだ。
「じゃ、着てくる。待ってて」
「あ……」
部屋に入るなり何か言おうとした徹からビニール袋を奪い、代わりにバッグを渡すと浴室に入っていった。
浴室から出た紅美子は困った表情になっていた。バッグからタバコを取り出し気分を落ち着けるように一服する。浴室で見た自分の姿を思うと、徹の前で恥ずかしがる表情を見せるのが何となく癪だったから、意図的に威丈高な仕草でタバコを吸った。
「……絶対、ボンテージっていうか、女王様みたいなカッコだと思ってた。じゃなくてもさぁ、バドガールとかエッチっぽいヤツ。すこーし可愛らしいにしても、バニーとかミニスカポリス……」
「何でそんなに知ってるの?」笑った徹が紅美子に睨みで一瞥されて萎縮し、「……だって、クミちゃんが何でもいいって言うから」
「だからって」紅美子はソファに脚を斜めに折って座る自分の姿を見下ろした。「……メイドさんなの?」
呆れた言葉を漏らす紅美子だったが、徹が用意した淡い紫のメイド服をフル装備で身に纏っていた。開いたラインのミニスカートの上でウエストが美しく絞られていた。パフスリーブの肩口とスカートの裾はフリル生地で縁取られている。白と紫のバイカラーで胸元が強調され、首元には大きな蝶タイ。小さなエプロン、カチューシャ。そしてサイドに小さなリボンが付された白のハイソックス。
「徹、私が世間一般でどう見られてるか分かってないでしょ? どう考えても、メイドさんなんて一番遠いっつーの」
「……遠くない。すごく、可愛い」
「ウソつけ」
真顔だ。文句を言っているが実は誉められて嬉しい。「……こないだのエプロンとか、可愛いのが好きなの? 『ご主人さま』って呼んで欲しい? オムライスにケチャップで何か書いたり」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「私、オムライス作れないよ。卵でくるめない」
「オ、オムライスは別にいいよ」
「メイドさんなんて、やっぱり徹、私を支配したいんだ。無意識にそう思ってるんだ」
「し、支配だなんて」
「じゃ、何よ」
「……クミちゃん、普段可愛い感じのカッコしない、から。今みたいなクミちゃんの姿、見せてもらえるのは俺だけだって思って……、選んだ。……でも、ごめん」
「もうっ」
オドオドしすぎだ。結局紅美子が負けてしまい、苦笑いをして、「別に謝んなくていいし。……こんなタバコすぱすぱ吸ってるメイドさんなんていないね。……もっと近くに来て、見て」
タバコを灰皿に押しつぶすと、ソファの隣を叩いて徹を呼んだ。側身をすりつけるように隣に座ってきた徹の表情は上気して、紅美子の細さが強調されたウエストへ手を回して覆いかぶさってくる。
「……どう?」
「うん、すごく似合ってる」
「自分でするときのオカズにしていいよ?」
「する」
「するんだ」素直に言った徹に紅美子は笑って、「写真撮ったらダメだよ? 誰かに見られたら恥ずかしい。……頭の中に焼き付けて」
「うん……。あ」
徹が何かを思い出した。
「ん、どうしたの?」
「……前にクミちゃんが栃木に来た時、帰りにクミちゃんを駅に送って行ったの、同じグループの仲いい同期が見てたらしいんだ」
「え、そうだったの? 誰にも声かけられなかったじゃん」
「うん……。で、クミちゃんと俺が写ってる写メ撮られてて、飲み会のとき同期とかグループの先輩に見られた」
「何だそれ」
紅美子は苦笑した。「隠し撮りなんて、やっぱり頭いいヤツらって変なヒト多い。人を酒の肴にして。……からかわれちゃった?」
「ううん。羨ましがられた。美人だって、みんなビックリしてた」
「……それはそれでハズいな」
徹のことだから真顔で「はいそうです、美人です」と言った光景が容易に想像できる。