3.広がる沙漠-2
すぐに真顔に変わる。冗談でもそんなことされたら徹を止めるのが大変だ。「だいたい突然光本さんが一人で会いに行っても――」
と言いかけたが徹のことだ、クミちゃんの同僚の方ですか、こんにちは、何のご用ですか、とマトモに取り合ってしまうのだろう。その姿が有々と目に浮かんで、
「……よく考えたら光本さん、徹のこと知らないじゃん」
と溜息をついて言った。
「会わせてください」
「……興味本位で会わせたくありません」
「あ〜」紗友美は拝むように合わせた両手を口元に立てて、ニヤけた目で、「他の女に会わせるのがイヤなんだぁ?」
「別に、イヤじゃない」
からかってきたのは分かっていた。「光本さんごときに徹を取られる気がしない」
「……やっべぇ、イラっときた」
紗友美は笑いながら、「でも、いつか会わせてくださいよぉ。今度東京いつ来るんですか?」
「……、……、また機会があったらね」
「明日なんですね」
しまった、と紅美子は項垂れた。「それどころか、もしかしたら今晩かもしれないですね」
「明日、来るんだけど……。ね? 光本さん。徹は何でも無いその辺の田舎のサラリーマン。そんなワザワザ見に行くようなもんじゃない」
「えー、でも見たいです。……ていうか、徹さんの前で長谷さんがどんな感じなのかが見たいです」
「なんじゃ、そりゃ」
紅美子はキーボートから手を離して背凭れを使って天を仰いだ。
「待ち合わせ場所さえ教えてくれれば、偶然を装って声掛けます」
「ちょっとぉ、やめてよ――」
紅美子は苦笑してモニタ越しに紗友美に目を向けたが、ニコやかに微笑みつつも、案外紗友美の瞳が本気に見えたから、この子ならやりかねないと思った。
「……お願い。三週間ぶりに会うの。とてもとても会いたかったの。お願いだからジャマしないで」
「……。冗談ぶってるけど、案外マジと見ました。わかりました。次の機会にします。……あ〜あ、また来週長谷さんはツヤツヤしてして来るのかぁ、ムカつくなー」
光本さんこそ早田とはその後どうなのよ。聞いてみようと思った時、紅美子の机の上の携帯が鳴った。紗友美が首を伸ばしてモニタ越しに携帯の画面を見ようとするのをパッと手のひらで隠し、
「勝手に見ないで」
手の中に引き寄せて紗友美に見えないように画面を見た。「……えっと、タバコ……」
急に紅美子が立ち上がって出口の方へ足を向けようとすると、
「喫煙所に行くのに、タバコを持たないのはおかしいと思いまーす」
カタカタとキーボードを叩きながら紗友美が言った。
「今、持とうと思ったんじゃん」
慌ててバッグからシガレットケースを取り出し、ドアへ向かう。
「勤務中にカレシとイチャつくのは、同僚の精神衛生上に良くないと思いまーす」
と言って、紗友美はタンと音を鳴らしてエンターキーを叩き、紅美子の方を見た。顔は笑っていた。
「……つけてきたりしないでね?」
「長谷さんが語尾にニャンニャンつけて電話するなら覗きにいきますけど」
「しないから」
「……行ってきてください」
紅美子は部屋を出ると急いで屋上を目指した。廊下を抜け、階段を小走りに昇る。周囲に人はおらず、まだ呼び出し続ける電話の着信を押した。
「何?」
「……出るのが遅いね」
二週間ぶりに聞く低い声だった。
「鳴らしすぎ。しつこいよ。……どこからかけてるの?」
紅美子は屋上への鉄扉を開いて外に出た。バタン、と大きな音を立てて閉じたドアの方を振り返って立ち、誰かが来たらいつでもわかるようにした。シガレットケースを開けようとするが、片手ではなかなか開けることができなかった。
「成田に着いた」
背後から人々の騒めきやアナウンスが聞こえてくる。
「明日って言ってなかった?」
「予定を繰り上げた。……錦糸町まで来れるか? 十六時半くらいに」
「は? 仕事してるんだけど、今」
「可愛らしい同僚が一人いるだろう。一人が休んでも業務継続できるから二人雇うんだ、会社ってやつは」
「何勝手なこと言ってんの? 行けるわけないじゃん」
「来なけりゃ、君の会社までさらいにいく」
井上の声は笑っていた。
だが、一度本当に会いに来ている。あながち冗談とは言えなかった。
「本当に、無理だから……。十八時までは待ってよ」
そう言って、心臓が一度強く鳴った。何故会う前提で話をしてる?
「……君に会いたいと思ったら向こうでも仕事が捗った。一日も前倒しにしたんだ。素晴らしいね、モチベーションってやつは効率には重要なんだと再認識した」
井上の笑み声が急に切り替わって、低い声でスピーカから紅美子の耳に流れこんできた。「会いたい。……さらってでも」